名前をつけてください

なにもないよ

2.20.2017


2月20日。天気は曇り。今にも雨が降りそうだったから傘をとる。どこかに忘れないように願う。


二度寝した後朝7時半に起きて、近くのコンビニでおにぎりとエナジードリンクを買う。思った以上に眠くない。

いつも働いているおばちゃんに会計をしてもらう。軽く会釈して、いつも通り会計のお礼を言う。

タバコを二本吸う。


タバコを吸っている途中、昨日のライブで

タバコは良くない、本当にやめた方がいい

と注意されたことを思い出す。

ご丁寧に面接前は吸うなと念を押された。

そんなことで落とす業界なら鼻から結果なんてどうでもいいと思ったけれど、あんな酷いものを通してくれた会社だから、結果云々よりも礼儀だけはしっかりしておきたいと思う。

面接前にタバコはなるべく吸わないでおこうと思った。

終わったら死ぬほど吸おう。

そして心配してくれた友人に少しだけ感謝した。

わざわざ僕に話をしてくれる人には感謝しないといけない。

それは常に示していたいし、大切なことだと思っている。以前よりずっと前から。


少し散歩をした後、頭が回り始めたと勝手に思い込んでwebテストを受ける。

速さを求められるといつもパニックになる。いつも通り焦る。

次の予定があったけれど、思った以上にwebテストが長くて遅刻することが確定した。

またいつも通り遅刻常習犯の烙印を押される。

でもそんな「いつも」はいつだって僕に安心感をくれる。

どっかの小説家のように僕はやれやれと言った。

テストはできなかった。


京阪電車に乗って出町柳へ向かった。

三条のスターバックスがある橋の下で人と会った。そこには何人かいた。僕の髪は短かった。

ここでの出来事は特になし。とある打ち合わせをした。


1時間打ち合わせをした後はみんなでカフェに入ってご飯を食べた。

その後更なる無駄話をするためにサイゼリアでワインを飲んだ。デカンタ。あれ、最早ワインじゃない。

でもちゃんと話すには多分薄いくらいが丁度いい。


友達が少しだけ面接の練習をしてくれた。

友達が心配してくれて少しだけ悲しくなった。それはいい意味で。

ちゃんと自分には友達がいるんだなぁなんてよくわからない感動を体験した。

今まで自分なりにあれこれ考えて、捨て身の形で友達と付き合ってきてよかったと思った。

友達に自分の真似をされた時、自分が思った以上に強い語調で話していることに驚いた。

こんな奴によく友達ができたものだ。


そういえば一年前に就活中の高校の同期がいろんなことに感動していて、僕はそれを嘲笑って見ていたけれど、なんだか今ならそれを笑わずに見ていられる気がする。

そういうこともあるのだと難しい顔をしてうなづける。


明日もまた友達が面接の練習をしてくれるらしい。

少し泣きそうになった。


帰ったら電話でまた別の友達と話す。

そしてすぐ寝る。

決めている。明日は伝えたいことを一つだけ伝える。

別に落ちることは問題ではない気がする。

言いたいことをちゃんと言ったらそれでいい。

少なくとも僕はそれで満足する。


人と会うのはいい。

当たり前のことに感動する。


当たり前のことに気づけた!

分かるよ、分かる。

絆、今の僕には分かるのだよ。


でもそれ、浅いです。



2.19.2017


2月19日、天気は快晴。とても寒い。僕にしては珍しく暖かな太陽の日差しに感謝する。


眠い。ひどく眠い。顔が強張る。イライラもする。ずっと何かに怒っているような気がする。だけど何も解決はしない。残るのは申し訳なさだけ。


体に鞭打って朝早くから大阪へ。

いつも疑問なんだけど、囲みこみ質問タイム、あれなんなんだろう。別に質問することって面接対策とか試験対策くらいしか思いつかないし、特段聞きたいこともないのだけど。

はっきり言ってさっきお偉いさん方が説明された通りだし、内定者の仰せの通りじゃないですか?こんなことを思うのも僕の態度が悪いことが原因なのだろうか?

僕がこのシステムを一番嫌う理由は、何か質問しなきゃいけないと焦って、ぎこちない動きをしながらトチ狂った質問をひたすらかます奴を見なきゃならないところだ。

なんかあれを見ていると本当に辛くなる。

必死なんだ。みんな。

周りのやつらはせめて奇怪な目で彼を見ないであげて欲しい。というか何名かは嘲笑ってるんだよな、あれ。

正直僕の目から見ると、通るわけでもない会社の就職後の話や業界の話を今の段階で質問してるあなた達の方がよっぽど意図が分かりかねる。

彼らのそういう態度は酷く醜いと思う。

でもそもそもの話をしだすと就職活動そのものがとても醜くくて切ないものだし、それでもやっていくしかないと思わないといけない。

その質問コーナーの間、人事がすぐ横でずっとやりとりを聞いていて、ああ醜いなって思った。こんなことを思うのはダメなことくらい知ってる。許して欲しい。思ってしまいました。


帰り道あまりにもやるせなくて、中之島付近でカレーのお店に入った。

とても美味しかった。まあまあ安いくせに本格的。今なら分かるんだけど、そうだよね、就活中は並んででも美味しいもの食べたいよね。

そんなことを思いながらカウンターでオムカレーを食べた。僕から少し離れたところで女性が一人カツカレーを食べていた。

少し元気になったから、好きな音楽を聞きながら中之島公園をずっと歩いた。


公園はいい。みんな楽しそうだ。おじいさんは難しそうな顔をしながら芝生で本を読んでいるし、お父さんは幸せそうに娘とキャッチボールをしている。よく分からんどこぞの大学生は提灯を持ってヘラヘラ踊っているし、気持ち悪い衣装を着飾って無意味な撮影をしている人もいる。

公園で散歩している老夫婦は特にいい。とても幸せそう。

そんなことをしていたら、去年の5月にここに来て女の子とぎこちなく歩いてはわざとらしく振舞った挙句、帰り道に告白して沈没した出来事を思い出した。あの日も快晴で、僕は少し汗をかいていた。

なんだかひどく感傷的な気持ちになって、僕は写真を撮った場所をわざわざ訪れたりした。下見までして見つけた夜ご飯のお店は、遠くから見るだけ見て近くに行くのはやめた。


それから京阪電車に乗って、サークルのライブに向かった。

車内で寝そうだったから、寝過ごさないように本を読んだ。その本の中で狼狽えるほど的確な喩えがあって少し落ち込んだ。世の中には天才が多すぎる。

読書に疲れて視線をあげたらそこは中書島という駅で、遥か昔の4月に母親と定期券を買いに来た日のことを思い出した。

春は何でもかんでも思い出すし、気分は虚ろになる。本当に嫌だ。


会場へ向かう途中、何も練習していないのに一体僕は何をしに行くんだろうか   

とか

でもてきとうに弦をを鳴らせば音は出るし、まあいいか

とか思った。


4年も経とうとしているのに未だに人前でアコギを弾くのも歌うのも苦手で、手が震えて客も見れない。緊張してしまう。

エレキギターならそんなことならないのに。音がデカくて、エフェクターでごまかせるからだろうなぁ。

やっぱり演奏は今日もひどかった。

演奏後、誰からも声をかけられなかったりすると少し落ち込む。そんな自意識にも嫌になる。

でも思い思いに歌うと少しすっきりした。


もちろん髪型もいじられた。

髪を切ったら人には会いたくないものだ。

分かってはいたけど、やっぱり前髪がないのは似合わない。


少し疲れててあまり人と話す気になれなかった。

気を遣ってテンションを上げることもできなかった。ちゃんと夜は寝ないとダメだ。

こんな日は人に会わない方がいいんだろうなぁ。

みんな明るく楽しそうにしてて場違いな気がした。気を遣わせていたらどうしようなんて心配をした。

スーツの人が二人いて、頑張れと思う一方、私服の僕は本当にダメだなとかなんとか思った。

面接にはできる限り進みたい。明後日初めての面接だなんて少し恥ずかしい。でも進めてくれた企業には心から感謝できる。


ライブ後の後輩からの二次会の誘いを何回か断ってすぐに帰った。

申し訳なかった。来て欲しそうにしてくれていたから嬉しかったけど、そのぶんだけ申し訳なくなった。

楽しくやってねなんて先輩らしく言ってみたけど、それはなんだか割と本心から言ってる気がして落ち着いた。


帰りに同じ最寄駅の後輩と別れる時、彼女が寂しそうにずっとこっちを見ながら立ているものだから、なんだか僕も寂しくなってきて道を戻って声をかけてあげたかったけど、そんなことをしたらダメだと思ってまっすぐそのまま歩いた。

でもなんだかなぁなんて思ったから少し振り返って、

変な子だなぁってわざとらしく大きな笑い声をあげて帰った。

しばらく歩いたらまた道を戻って、少し遠いコンビニへ歩いてタバコを一本吸った。

その後はそのまま家に帰ってすぐ寝た。

明日はwebテストを朝早くに受ける。早く寝よう。


やっぱりベッドは気持ちよかった。

夢を見たいと思ったけど、やっぱり今日も見ないんだろうなぁと思った。

横になってみると、なんだかんだ今日は人に会って良かった気がした。


2.18.2017


2月18日。天気は晴れ。少し煙たい感じの空、太陽。

ドアを開ける。少し暖かったからコートを置いてくる。僕はよく服装を間違える。実際にやってみないと分からないのと同じで、実際に外に出てみないと気温が分からない。


今日は蛍池まで行く。久しぶりの阪急宝塚線

ゴミみたいな(アウシュビッツ収容所のような)中高時代の通い慣れた道。ほんとにクソ。

今でもそう。クソはクソ。何も変わらない。

同期の連中の中にはまだ高校の先生に会っているやつらがいる。そうやって、それはそれで良き時代として認識することでなんとかやってるんだろうなぁ。

そうだとしたら彼らは幸福だ。間違いなく。

間違ってるとか間違ってないとかそういう次元の話じゃなくて、幸福かどうか、そういう話な気がする。

その保ち方が不健康だと言われたらそれまでだけど、不健康な保ち方でもきちんと自分が保護できるのであれば僕はその方がいいと思う。

さて、それで問題の僕はというと、言うまでもなく不幸です。


労働について考える。

僕は就職を第一には考えていない。就職こそがゴールなわけがない。僕には僕の人生がある。

社会に出るとは?労働とは?

僕はそこで僕だけの価値を見出したい。

こんなものがあること。こんな人がいること。素敵な考え。素敵なダメ人間。

時代の潮流。時代の考え。そんなのに合わせなくてもいい。

でも残念ながら僕は何も持ち合わせていない。見たら分かる。落ちてばっかりのES。

ため息が出る。

たまに通ったりすると大喜び。バカみたい。


僕は思うのだけど、僕はやりたいことがはっきりしてるのだと思う。

僕が思うに所属は、そこに所属するあらゆるものの価値を上げる気がする。

こんな酷な話はないけれど、確かにそういう気がする。

名も知らない個人が発信する言葉よりも、誰もが知っている有名な企業からの言葉の方が重くとられると思う。

そりゃ個人個人を見ていけばそう捉えていない人もいるのだろうけど、大方の人はきっとそうだ。

悲しいけれど、きっとそう。

実力がある個人はわざわざこんなことをしなくてもいいのだけど、僕にはそんなものがあるとは到底思えないから、やっぱり僕は大きな企業に行きたい。

ある企業の人が言ってたけど、読まれていない記事はなかったに等しい、だって。

そんなことはないのだけど、どうだろう。現実ではそうなんだろうなぁ。

いい言葉はどんなことがあってもどこかで評価されると信じているのだけど、というよりも信じていたいのだけど、君は理想主義的であまりにも幼稚だねと言われるのが筋なんだろうか? 世知辛い


あと、アドバイスをくれた先輩に先日ESが通ったことを伝えたいと思ったけれど、惑った挙句やめた。

一生懸命悩んでくれて(と勝手に思ってる)、なんとか意見を捻り出そうとしてくれたのに、如何せん就職の話はリアルすぎた。また就職の話をするのはあまりにかわいそうだ。最後の学生生活なのに。

本当に申し訳なく思っている。難しい中よく相手をしてくれたなぁと感謝する。

最終的には、最後の方に連絡したもの、それは形式自由の自己PRで半ば自暴自棄に小説を書いたものなんだけど、それが通ってしまった。

それを提出する前、その小説読ませてって言われたのだけど、

それ、通るやつなんでちょっとコンプライアンス的に難しいですね

ってつまらないジョークをかまして見事大滑り。てきとうに断った。まぁとてもじゃないけど恥ずかしくて見せられない。オモテ面にはありえないほどマーカーと赤ボールペンを使ってたし。

彼女にそれが通ったことを報告したら、笑いながらなんじゃそりゃ、なんて言ってくれるかなって思ったんだけど。それがほんとに笑ってるかはまた別問題で。きっと無表情で 笑 なんて打ってるんだろ。

きっとあれは疲れてる。遊びすぎ。休まなすぎ。あちこち飛びすぎ。

きちんと自分の体力を考えてください。倒れないでください。(といってもこれ読んでないでしょう?ほんとにもう。)

そんな優しい?(とりあえず疑問符を打っておきたい)先輩になんとか通ったことを報告したかったのだけど、まあいいや。どうせ面接でボロクソにやられる。次は5分の面接があるらしい。

まぁやる事って言ったら僕は大きな声で、

僕はこういう人間でこれがやりたいと思ってるのだけど、もしここに合ってないと思われるならどうぞ落としてくださいと言うだけの話ですね。

それで落ちたらそれはもう仕方がないよ。合わないものを合うようにしても嘘がバレるだけだし。そんな器用じゃないのも知ってる。

でも結局僕は社会をなめてるんだろうな。

心底そこで働きたいなんて思ってもないところがなめてる。

僕は価値ある人間で、僕にしか言えないことがきちんとありますってタカをくくってるんだろうな。

バカみたい。ダサい。


そんな疑いから、ちょっと前に某メーカーの懇親会に出席した。

なんだかお偉いさんが数人来て話し始めた。

仕事はまあつまらないし、かなりくだらないです。でも仕事は仕事として存在しているだけで、それを面白いと思うどうかはあなたが決めることです。そしてそれは綺麗な花が最初から存在せず、花を見て綺麗だと思うあなたがいるのと同じです。ってな話だった。

言葉って不思議。いくらでも綺麗に言えちゃうんだ。きっと。それこそが言葉の力ですか?

通勤ラッシュでたくさんの人たちが駅に並んでいる写真を見せられて僕はただ気が狂いそうになったのだけど、彼らが乗り込む電車には何人もの野望が共に乗っているそうだ。

おじさんおばさんは、それを見ている若者に社会の歯車が無表情に運ばれていると思われるのは悲しいらしい。そりゃそうだ。

確かにそれはそれで僕は立派な説明だと思ったけれど、僕にはやりたいことを放り出して別の野望を抱けるほど器用な人間じゃないから、なんだか困ったものだなと思った。

でもまぁ働いている人たちは嫌味なく立派だと思う。

そうやって与えられた場所、与えられた機会ごとに目的を自分で見出して、そこに向かって長年努力ができる。僕も本当はそうなりたかった。


音楽。小説。

均一化する現状が気持ち悪い。

同じものの繰り返しは飽きたよ。

前一列の思想。

これもまた気持ちが悪い。そこからはみ出したら、凡人には生きる道がないのか?


少し、1日。気軽に会える人と気軽に遊びたい。

少し笑って、飯食べて、そのまま帰る。

なんて素敵な1日だ。できる限り気楽に話して、気楽に話を聞きたい。

会いたい人に会いたいって素直に言える。

それって、とても素敵なんじゃなかろうか。

でも少しダサいかもしれない。でもしてみたい。


今日伊丹空港で後輩が一人、一年間の旅に飛び立っていった。

何人かの仲間でそれを見送ったのだけど、僕はどんな顔をしたらいいのか分からなかった。

周りのみんなが泣き出した時、僕は必死に思い出をかき集めて泣くことを試みた。その時僕は自身を乖離して、泣こうと努める僕を黙って見ていた。

なんでだろう。なんで馴染まなければならないのだろう。

苦手だ。

もしかしたら僕は情が浅いのではないのか、とか余計なことを思ってしまう。

悲しい。

唇をかみしめてただ彼女を見ていた。

別の人だったら、僕は泣けたのだろうか。分からない。でもきちんと悲しい。それだけは分かる。

ただ泣かなかった現実の結果だけ見たら、僕は間違いなく薄情だ。


散髪をした。髪が少なくなった。寂しくなった。就活ヘア真っ只中。いっそ坊主にすればよかった。悲しくなった。フードを被った。

また落ち込んでしまった。前までの髪の長さにパーマ当てたらいい感じになるよって美容師さんに言われた。バンドマンヘア、なれるかな。

就活、少し疲れた。自分の人生。でもそれは果たして僕の人生だったのか?

僕は全てを背負わなければならない。それを自分で選んだか選んでないかに関わらず。選ばざるをえなかったかそうでなかったかに関わらず。

そんなことを考えた。そしてそれは間違いなく虚しい。


誰かに何かを言って、誰かと同じ場所を一緒に歩いて、申し訳ないことをしたなんて思いたくない。

申し訳ないなんて二度と思いたくない。


ちょっとした雑事をてきとうに毎日上げていくので、めんどくさいと思います。ごめんなさい。気持ち悪かったら言ってください。

自己顕示欲というか、見せる形を望む心がめちゃくちゃ気持ち悪い。一番。どうにかしないといけない。ダサい。


天才

 

梅田の街でストリートミュージシャンは歌う

どこかで聞いたJ-POP

そこに群がる女子高生

巨大なバスターミナルがお出迎え

誰もお前なんて必要としてねぇよ

 

くだらない文章書き連ね

わけのわからん象徴と暮らす日々

揺れる電車は苦い思い出と虚ろな目

とんでもなくお似合いよ

慣れない夜は天井見つめて

俺は天才だった

どこの角で間違えた?

誰もお前なんて必要としてねぇよ

 

働き蜂には甘い蜜を

何かを思う心に果てしない自由を

街を歩く多くの目が俺を睨んでる

何も言うな

誰もお前なんて必要としてねぇよ

 

空き缶漁るために腰が曲がっちまったんだね

涙にふけて年老いちまったかい

今日も文章はダメ

うつむくお前が痛々しい

とんだゴミでごめんよ

温かな風呂も、優しい料理も

夜になると誰かに会いたくなるのかい?

 

足早に去って行く人並み避けて

通風口から酒の匂い

君の悲しみは売れたかい?

誰かが喜べばそれが社会なのだと

信じることはタダなんだから

なぁ、俺って天才だよな

”I don't like me any more”

あんたバカね

いつも同じ口調

 

誰かを動かしたい

誰かを救いたい

救ってくれよ、俺たち全部

なあ、そうだろ

嘘じゃないだろう?

 

うるせえ

誰もお前なんて必要としてねぇよ

 

 

 


Steven Wilson - Thank You (Originally from Alanis Morissette) 

 

 

mom is the symbol of having been a mere facade

 

はい、お母さん。

元気?

お母さんの腰痛、少しはマシになった?相変わらずポニーは不機嫌?

俺はまあまあ元気。

最近は就活が忙しくてなかなか文章が書けない日々です。ちょっと辛いです。でも書ける時間を見つけては書いて、また不定期でぽつぽつ送りますね。読んでくれていたらうれしいです。

 

今日は天気がよかったね。俺はパンを買って、公園のベンチで音楽を聴きながら食べたよ。ほうじ茶のクリームパンにクイニーアマン、それと午後の紅茶ストレート無糖。音楽はLeonard CohenのYou want it darker。最近出たアルバムだよ。絶対好きじゃないと思うけど。

Leonard Cohenはね、めちゃくちゃ低い声で唄を歌うんだ。声を張り上げることがないんだよ。ぼそぼそ呟くような感じで終始唄を歌う。でもついこないだ死んじゃったよ。アルバムを発表してから数週間後だね。アルバムを出したときのインタビューで「もう既に私は死ぬ準備ができている」なんて言ったもんだから、メディアも大騒ぎ。びっくりすることにLeonard CohenはBob Dylanと仲がよくて、そのBob Dylanのノーベル章授与式の直後に亡くなったんだ。原因はわかってないみたい。

不思議なものだね。みんなはきっと自殺だと思ってる。やかましいよほんと。

あ、興味ないよね。ごめん。

 

 

こうやって文章を書いていると、あっという間に時間だけが過ぎてしまいますね。ふと時計を見るとその間に書いた文章だけが残っていて、だけど俺はそれだけの量を書いた実感がまったくないんです。多分推測するに、その時の俺は悪魔か何かに憑りつかれているんだと思います。

 

でもね、お母さん。俺ね、たまに人からうらやましいって言われるんだよ。こうやって思っていることを言葉にできること。

でもこんなものを書きたいと思う生活って危ういものだと思わない?

うまく生きていけないことをわざわざ人に見せたいと思うなんて、どこか人間が破綻していると思わない?

だってお母さんも困るでしょ?もう振り回されるのはごめんだよね。

俺が最近の日々の生活の中で実感することは、自分自身が幼いころから何も変わらず、周りとは恐ろしいほど距離のあるところで生活しているということです。

なんでこんなに他の人が愛されているのか、俺には分かりません。なんで自分がこんな風になってしまったのかもわかりません。誰に何を話せばいいのかも、何を話したいのかも、そして究極は、誰がどこにいるのかもわかりません。

お母さん、なんで俺はこんな人間になってしまったのでしょうか。どうすれば変われたのでしょうか。俺はみんなになるために、わりと一生懸命考えて生きてきたつもりだったのに。

ダメだったなあ。俺は憑りつかれているのかもしれません。

 

今まで会ってきた人たちの思い出も、何もかもが名前と顔だけで終わってしまいます。俺は生きてきたのでしょうか。もしそうなら、なにをして生きてきたのでしょうか。

お母さんの記憶もあんまりありません。言われたら思い出します。でも何もないところからは、その声と顔、名前しか出てきません。

 

でも俺は決して悲観主義者ではありません。お母さんもそう思ってくれていたらうれしいです。

過剰に反応してしまうだけです。それはマイナスのものだけではないのです。人に対する感謝も、好意も、怒りも、あらゆる感情すべてです。つまりこういうことです。

俺はつくづく生きるのが嫌になる。だけど天気がいいとめまいがするほど生きている素晴らしさとその高揚を味わう。

 

あ、そういえば今日は歌を作ったんだよ。弾けもしないピアノと、喋れない英語で。

くだらないでしょ?でもね、本当にくだらないんだよ。6分間もクソみたいな音楽をするんだから。

ただの慰めだよ。

だけど歌を作っているとクソみたいな自分が肯定されたような気持ちになれるんだ。

俺は人間を辞めたい。そうすれば、俺の感情は俺だけのものになれる。俺自身が俺だけのものになれる。

人間でいることは人間としてそこにいなきゃいけない。

こんなこと日本語でなんか歌ってられないよね。

 

受け入れられたい。お母さん、俺はまだ受け入れられたいと思っているよ。

でも嫌いになりたい。早く嫌いになりたいな。

また話してね。そういう曖昧な形のものだって、俺は知ってるよ。あまりにも多くを言葉にする人間がいずれ死ぬことも。 

 

年末に帰るね。それでは。

Dear 

 


Mitski - Class of 2013

見なくていいですと言って、それでも必死に何かを書く矛盾を好きになってしまうこと。

 

大体において面倒くさいと言われる。そしてまあよく勘違いされる。

なんでもオープンに話してしまう。

すぐ人にほいほいついていってしまう。

笑顔を向けられたら笑顔で返してしまう。

なぜ僕は語尾に「してしまう」なんて言葉を使わなければならないのだ。それらはとても純粋で、いいことなんだよって。なんで笑って言ってくれないのだ。

そのあとで僕はまあ当然のごとく捨てられる。

その時はきっとうんざりした顔をされている。

そして僕は悲しんでしまう。安いウイスキーを買って、我慢できず家までの帰り道に飲む。

強度のアルコールにむせること。たばこを震える手で吸うこと。

イヤホンから漏れる不器用な音楽だけが僕と一緒に泣いている。でも彼らと僕とではそれもまた大きな隔たりがあることを僕は知っている。だって僕は馬鹿じゃない。彼らは今僕に愛され、そしてまた世界中の多くのリスナーに愛されている。

一方でこの馬鹿で甘ったれた僕は何者にもなれず、なにもできない。

情けなくてまたたばこを吸う。

ものさしが欲しい。僕は今ものさしを必要としている。人との距離を計るのだ。

けれどそれを胸に当てて、それでも僕は僕を愛せるだろうか。何かを率直に示し、誰かを素直に見つめ、適度な距離を保つ。そんなことがこの僕にできるだろうか。そんな頭が僕にはあるだろうか。ものさしの使い方がわからずにみんなから嫌われたことがあるこの僕が。みんなのものさしの真似をして得たお利口な人間関係に辟易して、ものさしをぶん投げたこの僕が。それなのに僕はまた同じように人に嫌われ、捨てられることを恐れている。その怖さゆえにぶん投げたものさしをもう一度探したいとさえ思っている。けれどそれももう手遅れだ。僕はこの現状の僕が得てきた何かを大事にしている。そしてそんな僕を僕は好きにさえなっている。うまく立ち振る舞う頭なんてハナから持ち合わせてなく、自分を強く持つ心さえない人間がやることじゃなかったのに。もう僕は僕にさえ笑顔を向けている。そしてこの僕はその僕にうんざりした顔をしている。

すぐ何かを諦められる優しい心が欲しい。僕の優しさは優しさなんかじゃない。僕は他人を許容できない。僕には僕の自由があるように、他人には他人の自由がある。僕に言わなくていいことだってあるし、僕を嫌うことだって、僕を突き放すことだって、それは彼らの自由だ。他人についていって、他人に恋い焦がれて、それで何かを僕が彼らに要求することは大きな間違いだ。そしてそれは大きなおごりだ。僕が彼らに与えたものはただの僕の好意によるもので、彼らは何一つ要求などしていない。気持ちの悪い人間だよお前は。つくづく気持ち悪い。

それでも彼らが去っていくのはとてもつらく、とても悲しい。それはこの世界のパズルのピース、どこか一つが抜け落ちてしまったかのような気分になる。好きな小説のどこか大事な数ページが裂けてしまったような。行かないで欲しいと心から思う。ここにいてくれと強く思う。それでも僕にそんなことを抜かす権利はどこにもない。彼らは彼らの自由がある。けれど、それでも、そうだとしても、僕は彼らに強く訴えたい。行かないでくれ、と。でも彼らは当然、見向きもせず走り去っていく。楽しいことがたくさん待っている世界へと一目散に駆けて行く。それは当たり前の話だ。そこが彼らの楽園なのだから。だけど一方で僕は天才なのかもしれない。酔えば何もかもが揺れて、知らぬ間に朝になったり夜になったりする楽園を知っている。もし仮にその両者の違いを挙げるとしたら、そこが僕や彼らを待ち焦がれているかどうか、ただそれだけに尽きる。そしておそらく僕の楽園は、僕のことを待っても拒んでもいない。ただそこに存在しているだけの、無機質な入れ物容器の空間だ。

僕がすごくかっこいい俳優だったら、彼らは去っていかなかったかもしれない。僕といることに何かステータスがあったら、彼らはここにいてくれたかもしれない。そして面倒くさいなあと言って横で笑ってくれたかもしれない。ちょっと前まで横にいたはずなのに。おかしい。こんなにもみんなのことを大事に思っていたのに。

幼稚園、小、中、高と、その頃に言われた酷くつらい言葉を思い出すときがある。でもきっとそれはあながち間違いじゃなかったんだろうとも思う。もしかしたら僕の未来に警鐘を鳴らしていたのかもしれない。しかしその記憶はつらく、そして悲しい。ひどく落ち込んでしまう。でも僕は確かに普通ではない。そこに対するカウンターも、もう今はいい。何をするにも僕は無力だ。そして頭も悪い。

それでも生きていけなんて、くだらないと思う。諦めて生きていくなんて、そんなの死んでいるのと同じじゃないか。僕は生きている以上、抗いたい。自分を肯定し続けたい。それができないのなら死んだほうがいい。

帰り道、むせながらウイスキーを飲むこと。震える手でたばこを吸うこと。一人で自室が奪われてしまった実家に帰ること。下宿先の玄関でくつひもをほどきながら床に涙を落とすこと。変わっていく何かを受け入れようと努力すること。本当のことを話せないこと。烏丸通りを眺めること。

明日はいつも通り嘘をつく。人が大嫌いで、興味もなく、何も思うことなんてない。忘れた。全て忘れた。あいつらのなにがいいんだ? くだらない。本当にくだらない。本当のことを言うなんて本当にくだらない。人が怖くなった。悲しくなった。ただそれだけ。それだけです。

「俺は変なやつだ。本当はこんなところに来ちゃいけないヤツだ。なにしろ周囲から浮きまくっている。そいつは天使みたいに輝いていて、あまりに綺麗で泣けるくらいだった。そんなものを目の前にしても俺には何もない。何か誇れるものが欲しいよ。ケガをするなんて大したことじゃない。ただ自分の気持ちをコントロールしたいだけ。少々のことじゃへこたれない強い人間になりたいよ。特別な人間に釣り合うような、そんな人間に。」

トムヨークでさえこんなことを言う。そんなのあんまりだ。

せめて忘れんなよ。俺は楽しかったんだから。もう忘れたからなにがなんだか分からないけど。悪気はないのに嘘つきと呼ばれ、さよならも言えずに車窓から投げ出される俺からの最後の嘘。俺はこうやってしか生きていけない。これから先は知らない。興味もない。

読まなくていいです。これを文末に書いてしまうこと。それもまったくもってくだらない。

 

 

夜が明ける前に 2

 

僕はジョシュ・スコットの小説がなにより好きだ。

その理由は至って単純で、彼が書く小説の主人公が毎回突然人を失うからだ。

それは昨日までいつも横で寝ていた女の子が、あくる日目を覚ますとその場からいなくなっていて、いくら連絡をつけようにも電話が繋がらなくなっている類のものだったりする。

もしくは、ある日突然いつも一緒に遊んでいたグループの仲間全員から無視され、なにをしようにも全員が話に取り合ってくれなくなっていることかもしれない。

そこには見事なまでに理由がない。そして彼らもまた誰一人としてその理由を語ろうとしない。

ただ無言で目の前から去って行く。

そこに僕は彼の小説の本質を感じる。

 

昔ジョシュは何かのインタビューで、「物事は大体において判然としておらず、人はそれ自身になんの意味があるのかを理解できない。」と言った。

ジョシュ・スコットという小説家は、意味のない比喩を延々と書き続け、わけのわからない象徴を大量に描き続けた無意味な作家だった。

おそらく彼自身、自分が何が言いたいのかを把握できていなかったと思う。

しかし物事の本質なんていうものは混沌のなかに埋もれたゴミくずのようなもので、もともとそれ自身が無意味なものだ。

そんなものばかり追っていたものだから、彼は無意味な象徴の代表としてビルの53階から飛び降りた。

「去っていくばかりでは悲しいではないか。」

もう彼のもとから去っていく本質はどこにもない。

 

 

「純粋であることはいいことだ。」

時計の針は既に夜の3時を回っている。夜中の沈黙には張り詰めた鋭利な目が無数に張り巡らされている。

「俺はそうやって今まで教わってきた。」

「しかしそのままでは生きていけない。いつかそれを壊さなければならない日が来る。」

「それがどうしてだか、お前にわかるか。」

「そうであるべきものが、そうではないと否定された時の苦痛が。」

「その理由さえ納得して教えてもらえないことが。」

「それでも生きていかなければならないことが。」

昼の3時と夜の3時は、時計の指版上では同じ位置を示している。

「昼の光に、夜の闇の深さなど分かるものか。」

 

 

僕は何もかもを失ったあの暑い夏の日差しの中を歩いている。

そこでは大量の嘘と、ささやかな虚栄心が舞っている。

あと少しで、僕はこの眼下に広がる少し湿ったアスファルトの一部になるだろう。

もう僕はここから動くつもりはない。だって、去っていくばかりでは悲しいじゃないか。

だけど、動くこともない汚れた心は、僕はやはり少し悲しい。

ビルから飛び降りることになったって、どこかへ向かおうとする心はやはり美しい。

僕は、僕が思うよりずっと僕が好きだ。

そしてきっと、それだけでいいのだ。

 

 

 


downy - 安心 anshin