県道コバーン
まあ詰まる所僕は10年間ギターのネックを握り続けている。
それはそれは強い力で、僕はこの薄汚い世界を変えてやる勢いで、ギターのネックを10年間握り続けている。
僕のギターヒーロー達はどうやら友達がいなかったようで、それはそれは物凄いスピードでたくさんの音を積み上げて行った。
それに比べて僕はどうだ。物凄いスカスカの音を出して、次に一体何を弾いたらいいか分からずそこに立っている。
ああ...まだ僕はステージに照らされるのか...。
黙祷。
そうだ。やっぱり世界は僕にとても厳しい。
それでも僕はおいそれとギターを離しはしない。
僕は生活が辛い。僕は人生が嫌だ。死にたい。
そんなことを言ったら君は僕を咎めるかもしれない。
悲劇のヒロイン気取り。気味の悪いナルシスト。
そりゃ君には君の悲しみがあるだろうけど、僕にだって僕の悲しみがある。僕にだって死にたいと叫ぶ権利がある。勿論、君にだってある。
死にたいと叫べばいい。生活が嫌だと叫べばいい。僕はそれに何を言う権利もない。僕は君のことが好きだから、そんなことを叫ぶ君を見たくはないけれど、でもそれが今の君の気持ちなら僕はそれを尊重するよ。死にたいんだろう。分かるよ。
でも君の悲しみを僕は知らない。分からない。痛みが実感できない。
でも想像くらいはできる。
だって僕は生活が嫌いだから。僕は自分がとても嫌いだから。僕は君を大事に思うから。
『それでも世界は綺麗だよ、こっちにおいでよ』
笑いながら君はそう言うけれど、それなら僕だって言うよ。
こっちにだって世界はあるよ、こっちにおいでよ。
そこではギターが弾けないギターリストがみんなの憧れの的だったりする。ボーカリストはおならで歌を歌うし、ベーシストは立派な金棒をベースとしていじっている。
観客は色眼鏡をつけてトリップしている。
「我こそは世界の真理を突いている!」
バーのマスターはいつも謝っている。
「こんなお粗末なものを、こんな値段でごめんなさい!!ごめんなさい!!!!」
僕らは楽しむために放棄する。何もかもを平気で捨てる。嫌なことは聞きゃしないし、やれないことはやろうとしない。楽をする。利潤の対価で付与される責任なんて僕たちには必要ない。
僕たちは楽しく生きていくべきだ。楽しくしようとしないことは罪なことだ。
そこで僕はギターを弾いている。嬉しそうに音を外している。僕は楽しい。僕はみんなのヒーローだ。
お祈り。
就活の時に、”今までの人生で頑張ってきたことと、そこから得たもの”という題にこんな作文を書いたら、結果どこも受からなかった。
やっぱり世界は僕にとても厳しい。
ギターはどっかで死んできた木の遺産だし、僕が夢見るのはみんながとうの昔に諦めたものだし、お金は僕の苦痛の賜物だし、生まれてしまった人生もまた。
僕からすると世界は狂ってる。
可愛い女の子はみんな三途の川を笑顔で渡って行くんだから。あれこそが世界を変える、みんなが恐れる”可愛い”なんだから。
可愛いみんなは三途の川を笑顔で行進する。とっても可愛い。見た目の問題ではなく、より本質的に。可愛さの本質とは愚かさそのものであると勘違いしてしまうくらいの深度で。
恐らく世界の名だたる革命家も、彼女たちを見た途端にその革命の手を止めるだろう。”可愛い”は革命家の世界を変えるのだ。彼らは彼らの生きやすい世界を作るためだけに動くのであって、別に本質的に良い世界を作ることなんて考えちゃいない。
でも僕は違う。信じて欲しい。もし僕が革命家だったら、僕は”可愛い”の大量虐殺を行う。
つもりだ。
現に今、僕は可愛い彼女たちを笑顔で送り出している。偉いだろう? 革命家なんだ、僕は。可愛いみんなのために彼女たちの行進のすぐ横でシンバルを叩いている。彼女たちがあまりにも素晴らしいから。革命家の僕は”可愛い”の大量虐殺の一助を担っている。真の革命家と呼ばれることを目指しているのだ。なぜなら僕はその言葉をアテに毎晩最高な失禁をしたいから。
これは世界中誰もが平等になるよう、”可愛い”を平均化する為の合法的虐殺なのだ。
とハッタリをかましたいが、本当のところは”可愛い”はギターが弾けないと与えられない誇り高き勲章のようなものだからだ。僕は革命なんかよりも”可愛い”のほうがずっとずっと好きなエッチな男なのだ。
でもそんなことをしていたら言葉とは何かが疑わしくなってくる。
人生も、また。女の子も、また。
だってそうじゃないか。言葉なんて必要か?
正義はもうそこにある。身の丈にあった人生。身の丈にあった考え。生活するための思想。
理想とは程遠い、生活に真正直な、それなのに薄汚れている正義。現実に即した、本当の答え。
そう考えると我々が必要なのは沈黙だ。これまで何年もかかって築きあげてきたこの世界に新しい価値観などない。黙ることだ。受け入れることだ。現実を形あるまま受け入れ、頭がいい原爆おじさんたちの話を有り難く聞くことだ。
でもそれは本当か?苦しくても、間違いだと思っても、僕たちは黙るのか?
僕たちが今必要なのは、理想を持つこと。
だといいよな、とか思いながら今僕はアダルトビデオを見ている。
クソ野郎の僕はギターを握っている。
間違いは、まだ。これからの人生も、また。
諦めない。
僕はみんなのことなんて知らない。どうでもいい。
楽しく生きていくべきだ。楽しく生きていくべきなんじゃないか?
そんな考えは幼稚だと君は言うけれど、君は勿論”可愛い”が好きだし、その隣の”可愛い”は”前衛的スタイリッシュおちんぽ”が大好きだ。
何を言っても自由な世界だったじゃないか。そうじゃないなら言葉なんていらない。
でもその世界の実現方法を僕は知らない。本当は僕はこの世界の”可愛い”を独り占めしたいエセ革命家だから。
出身大学もロクなもんじゃない。授業中も可愛い女の子はすぐ笑って開いたその大きなお口の中に大きな笑い声で男を勧誘しようとするし、男は男で席を立っては繰り返しズボンの股のところにテントをこしらえている。
適応していくための薄汚れた正義。
でも仮に、仮に言葉にしていいなら、言葉にできるのなら、僕は理想だけを。
弾けないギターは弾くべきだ。立たない金棒こそ死ぬほど愛でるべきだ。嫌な世界はトリップしてぶっ飛んでしまうべきだ。
鳴らないなんて知らない。
許可なんていらない。
世界の常識なんて知らない。
そんなものに興味はない。
世界がどうであれ、僕たちは、生まれたからには全力で楽しく生きるよう努めるべきなんじゃないか。
むさ苦しい。
いつもの場所は居心地がいいか?その悲しみは気持ちがいいか?
誰に赦しを乞うつもりだ。
Tempalay 「革命前夜」 (Official Video)
おじいちゃん
ある人と過ごした最後の日がいつだったのか、僕は全く覚えていない。
いや、最後の日といったってなにもお別れを告げたその日のことを指すわけじゃない。その人と過ごした時間の中で、この日こそ一番大事だと思えたその日のことを僕は最後の日とここでは呼びたい。
僕のおじいちゃんは6月23日、僕がちょうど高校2年生の時に亡くなったのだけど、僕の中でのおじいちゃんの最後の日は、おじいちゃんと二人で岡山へ鈍行電車の旅をした日のことだ。
その日おじいちゃんはお気に入りのキャノンの一眼レフを提げて、嬉しそうに後楽園の写真を撮って回っていた。多分そうだったはずだ。
それから僕はおじいちゃんと二人でおばあちゃんのお土産に桃太郎のきびだんごを買って、少しその辺を散歩してから讃岐うどんを食べた。そしておじいちゃんは疲れやすかったから、僕らはよく分からない喫茶店に2回ほど入った。
それから僕ら二人は来た道と同じ鈍行に乗ってユラユラと何もない岡山から何もない京都へ帰っていった。夕方の5時だった。どこまでも続くクソみたいな風景の中で、僕とおじいちゃんはほとんどなにも話さず電車に揺られた。
だけどその時おじいちゃんは鈍行は疲れるから特急に乗ろうと言ったかもしれない。もしそうなら僕らは恐らく鈍行になど乗っていない。
その何日か後、おじいちゃんの容態は突然悪くなった。お見舞いに行くとおじいちゃんは痴呆になっていて、僕の名前も思い出せないようだった。なんでだろう。なんで僕たちは岡山なんかに行ったのだろう。
それから数日も経たないうちに、おじいちゃんは恐ろしい速さで亡くなってしまった。聞いた話によると、内臓の器官不全だったらしい。当時の僕には話が重すぎると、話の全容を親から聞かされることはなかった。悲しかった。
そして僕の悲しみはその日から日が経つにつれて元のよりも徐々に徐々に大きくなっていき、遂にはカーペットについたコーヒーのシミみたいに、その悲しみがそこから永遠に取り除けないものとして存在を主張するようになった。
僕はもっと刻み込むようにしておくべきだったのだ。せめて僕がその日おじいちゃんとしたことがくっきりと頭に残っていれば、僕のカーペットはこんなことにはなっていなかったのだから。
だけど僕はあまりにもバカな男だから、それ以後もずっと他の人にそんなことを繰り返し、遂にはただ汚れたシミだらけのカーペットを広げては歩き回るクソ雑魚として、世界に君臨するようになった。
カフェで飲むアイスカフェオレの氷が溶ける音がする。
街を歩く。
僕は人の顔を見るのが好きだ。なにも嫌らしい話ではなくて、その人の顔からその人の歴史を探るのが好きだったりする。歳が上であればあるほどなおいい。
白いワンピースを着た華奢なあの綺麗なおばさんも、昔はきっと華やかな人で、周りからもてはやされていたんだろうなぁ、とか。
苦しそうな顔をして街を早歩きするあのおじさんも、昔は休日家族とどこかへ遊びに行くのを喜びとし、仕事にも多くの夢や理想があったんだろうけど、遂にある程度歳になって世界が俯瞰的に見えるようになり、全てに嫌気が差して。それでもああやってスーツを着て立派に背筋を伸ばして歩いているんだなぁ、とか。
一体彼らが向かっているあの交差点にはどれだけの諦めた理想とか、追いかけている夢が歩いているのだろう、とか。
あの店内にはどれだけの思いを忘れた人たちが歩いているんだろうなぁとか思ったりする。
カフェに入る。コンビニに入る。
街を歩く。駅で降りる。
本を読む。映画を観る。
そのあちこちで僕は誰かを思い出し、僕は誰かと会う。
いろんなものが錯綜して、いろんなものが生まれ、やがてそれらも結局すべて日常という混沌に埋没していく。
時計の針も、街を歩くそのファッションも、この流れている空気の匂いも、ちょっとした道路標識でさえも、すべてが日常という混沌に流れ込んでいく。
僕の実家には僕が中学の時に開けてしまった穴がリビングに一つある。
あれを見ると思い出す。
実家の勉強机の引き出しを開けると小学生の友達を思い出す。
そんなことをしてはやめてを繰り返す。
するとカーペットのシミを広げては眺めるだけで、もしかしたらたったそれだけで、僕たちは十分なのかもしれないと思ったりする。
だってそれが最後の日なんて誰も分からないじゃないか。
街を歩く。音を聞き、匂いを嗅ぐ。
この世界にいる。僕はこの世界で生きてきた。
僕はそこで誰かに会い、誰かを思い、そして僕はその誰かにこのカーペットのシミを見せつける。
ありがとう。ありがとう。
おじいちゃん。約束、なんとか守れそうです。
頑張ります。
元気でやっています。そしてきっとこれからも元気です。
カーペット汚ないでしょう?掃除が苦手なんだ。
大嫌いで、でもそんなに悪くもない7月になりました。人生です。
パネル描きの男の人
君は日本語がうまく話せなかった。
いや、といよりもそうだな...。もっと正確に言おう。
そもそも君は、言語が意味を成すための法則にしっかり則ってそれをきちんと相手に提示することができなかったし、そういった法則の下で人から与えられた言語を確実に理解することができなかった。
要するに君は、言語が扱えない人だった。
君はアメリカでもフランスでも、勿論ここ日本でも、誰とも会話をすることができなかった。言葉を持たないということは、つまり君はひとりぼっちだった。
でも君は人と通じ合うことを望んだ。
人は人と通じ合うことでしか自己を確認することができない。みんな誰かを望んでいる。そしてみんな誰かに求められたいと思っている。そうじゃないと私たちはここにいることさえも確認できない。それは勿論君も同じだ。
そりゃ一部では君も孤独を望んだかも知れないけれど、それだって結局は繋がりを望む枠組みの中で生まれた孤独であって、最早それも繋がりのシステムの中でしか成り立たなかった孤独だ。
体制派の中で生まれた反体制派という枠組みが、結局はそれだって彼らが対抗した体制派の一部でしかなく、あまりにも脆い結果で終わったのと同じ理屈だ。連合赤軍も革マル派も、もうここには存在しないのだ。彼らもきっと、この世界のどこかで、この体制下のどこかしらで、汗水垂らして懸命に生きている。
そんなわけで、君はパネルに絵を描くことにした。絵を描くことでなんとか人と通じ合おうとした。君は君ができる最大の力を持ってこの世界と交じり合おうとした。
たしかに君に誰かの言葉がはっきりとした意味を持って響くことはなかったけれど、君は世界やそこにいる人々を君の中でしか成り立たない君独自の言語を以って観察し、それらを懸命にパネルに描いた。そうすることで世界と共存しようとした。
しかし大半の人間はそんな君をバカにした。
「なんなんだ、君は。なんで何も話せないんだ。声は出ていても意味がわからんよ。うめき声をあげるんじゃないよ。耳障りだ。」
そういうわけで、君は世界から”ただの無能な男”と呼ばれることになった。
そしてそれと同時に、君は”ただの無能な男”としてこの世界に存在することになった。
そんな光景に対して、君がこの悲しみを彼らに表現できる手段は皆無だった。だから君は”ただの無能な男”として、懸命にパネルに絵を描いた。
それしか君にはできなかったのだ。
しかしパネルに絵をたくさん描いていく内に、君は段々嫌気がさしてきた。
パネルの絵なんて誰も見ていないことに気づいてしまったのだ。
これはとても残念なことだ。一人の、世界に順応しようとした罪なき人が、まさに今世界の圧倒的な力に屈しようとしているのだ。誰がヘレンケラーを殺せるだろうか。誰がナチスを許せるだろうか。
「一体誰が、異常なこの世界を正常なまま捉えることができるだろうか。」
そういうわけで、それからの君は”パネル描きの男”として存在することになった。
圧倒的な絵を描くことで、君は誰もがその絵に振り向いてくれることに気づいたのだ。
どんな権力者も、どんな美人も、君のその圧倒的な絵を前にするとすぐそちらに目を向けた。どんなに近くで身の毛がよだつような爆風が聞こえてきても、どんなイカした男がその通りを颯爽と通り過ぎても、君の絵の前では誰もがそれらに見向きもせず君の絵に見惚れていた。
すると、次第に君の中で世界がちっぽけなものに感じられてきた。この世界がてんで取るに足りないものに見えてきた。結局は皆、圧倒的なものの前にはひれ伏すことしかできないのだ。
だから君は、より過激なものをより力強く肯定的に描き切ることで、みんなに自分の絵を見てもらおうとした。つまりは自分の存在を知ってもらおうとした。
君はそう。”パネル描きの男”だ。
より過激で、より極端に、より力強く物事を肯定する。
それが君にとっての”パネル描きの男”たる所以だった。
しかしそれと相まって、君の世界は日に日にちっぽけになっていった。
テレビの取材は家の前を覆い、どこへ外出するにもカメラがあちこちで光った。みんなが笑顔で君に近づき、とても親しげに話しかけてきた。
勿論それに対して君は今まで通りうめき声しかあげられなかったが、みんなそれをありがたそうに聞いてにこやかにしていた。
”こいつらはバカだ。”
君はそう思ったと思う。
”何を言っても結局は何も変わらないんだ。誰も何も気にしちゃいない。何を言おうが世界は変わらないし、何を言わなくても世界は一緒なんだ。どれにしたって、結局圧倒的な力の前では何もかも捻り潰されるだけなんだ。”
”〜社会なんて取るに足りない〜”
なぁ、”パネル描きの男”。君は最後まで孤独なつもりでいるのかい?
君はある晩、その力を以ってある人と寝た。
君にとってはそれがはじめての時で、そのせいで君はとても緊張していた。横にはその人の頭があって、その人の香りがあって、その人の呼吸があって、その人のそのままがあった。
その人は生き、そう、正に今、君のすぐ隣で、その人はそのままの形で生きていた。綺麗な言語を話し、綺麗な笑顔をし、綺麗な呼吸をした。
すると君は分からなくなってきた。段々と、次第に、そして遂に、君はひどく取り乱した。何かが違う、、!
君はパネルを探した。どうにかしなければならなかった。分からなかった。何かを表現せねばならなかった。これを留めておかないわけにはいかなかった。考えなければならなかった。生きていくのだ。言葉だ。言葉だ。言葉だ。
でも君にはパネルしかなかった。仕方がない。これは仕方がないのだ。だから勿論君はパネルを探した。
するとすぐ横でその人は笑った。確かに、はっきりと、その人は笑った。
「何よ。大丈夫。何もないの。私もあなたも、ここには何もないの。安心して。元々ここには何もないの。みんな、元々何もできないのよ。」
それでも君はパネルを探した。君にはそれくらいしかできなかったから。
できること。できないこと。やりたかったこと。やりたくなかったこと。自分の理想。自分だけの理想。諦めきれなかった価値。どうしても諦めきれなかったもの。
そういうわけで君は”パネル描きの男の人”になった。
それも”素敵なパネル描きの男の人”だ。
そしてそれと同時に”一人の素敵なパネル描きの男の人”として世界に存在することになった。
「一体誰が、異常なこの世界を正常なまま捉えることができるだろうか。」
分からない。
でも君にはパネルが描ける。それもとっても素敵なパネルだ。架空の女の子が、たとえそれがほんのささやかなものだとしても、一人でも振り向いてくれる、そんな素敵なパネル。
そんなものが実在するかどうか、ましてや本当に女の子が振り向いてくれるかどうかなんてさして問題じゃない。
何人もの人が振り向くものではないけれど、それはそれは君はとても立派な”パネル描きの男の人”だ。
誰も君を”素敵なパネル描きの男の人”とは呼ばないけれど、もうこの世で君をそんな名前で呼ぶ人はいないけれど、それでも君には立派なパネルが描けるじゃないか。
言葉も話せない。だけど君は世界を知ろうとする。
言葉がうまく話せない。だけど君はこの世界でよく生きようとする。
それでいいじゃないか。
一体君は明日は何を描くのだろう。
仕方ない。仕方ないのさ。仕方がない。仕方がないのさ。
Sufjan Stevens, "Blue Bucket Of Gold" (Official Audio)
麦とホップ
「また逃げるの?」
「そういうつもりじゃないんだ。ただ、今は・・」
「そうさ。努力は無駄さ。よく分かったろう?」
「そうやって気取って。生きていく為にあなたは一体どうするつもりなの?」
「違うんだ、ただ・・」
「やった!やったぞ!」
「やったじゃないか!パーティーをしよう!それはそれは華やかなやつをね!今日はとびっきりいい日にしよう!」
「社会のシステムが・・」
「もうあなたのそういう自己防衛の仕方は見飽きたわ。だからあなたはダメなの。まるで話にならないわ。」
「パーティーだ!みんなありがとう!」
「またそこにすがるつもり?」
「やめろよ、そういうの。誰もお前の味方なんかしないぜ。」
「みんな必死なんだ。お前もいい加減ちゃんとしろよ。」
「違うんだ、違う・・ただ・・。」
「ダメなんだ。君はダメだ。まるでダメだ。いいかい?君はダメだ。」
「ダメだ。間違っている。君は間違いだ。」
「自己否定による承認欲求の高さが・・」
「違うんだ・・、」
「君はダメだ。」
「終わりだ。何も聞くまい。帰ってくれ。」
ダメだ。その覚悟は十分にできている。
「社会は間違っている。暴力による主張も辞さない。」
「でも人を殺したくはないんだ。」
「システムから溢れた人達の受け皿がない。革命だ。革命が必要なんだ。」
「あなたはどこを見ているの?ここにいること。それだけが正解なのよ。」
「違うんだ、聞いてくれ。」
「君はダメだ。まるでダメだ。」
「どうするつもり?」
「僕はただ・・」
「そういう理想論、いい加減聞き飽きたわ。あなたは生きることがどういうことなのかまるで分かってない。みんなしんどい思いをしながらそれなりに生きているの。」
「諦めろ。無理なことは無理なんだ。みんなしんどいんだ。」
「周りを見てみろよ。」
「違う・・・、」
「餓鬼じゃないんだ。」
「いい年した大人がよ。」
遠すぎる。
「またそうやってあなたは自己愛にまみれた文章を書くのね。」
誰かが言う。
そうさ。僕にはこれくらいしかできないのだから。
「分かる。言いたい事は分かる。誰だってそうなの。」
「でもね、皆はあなたみたいにそれを追い求め続けはしないわ。」
「食べなさい。そして寝なさい。そうすればきっと少しはマシになるわ。」
「僕はここに一切の人称代名詞を出さないような文章を書きたかったんだ。主語さえない、そういう世界をね。そうすれば何もかもがうまくいくと思った。」
「でも君にはそれができるほどの技術がない。」
「その通り。だから僕はどこへも行けない。」
「だけど君はそれがしたい。」
「うん。僕はそれがしたい。僕は文章を通して自己治癒がしたい。そしてそれを通じて人と対話がしたいと思っているんだ。僕はあまりにも多くのものを避けすぎた。」
「じゃあそれをするために早くビールをやめることね。ビールは君を壊すわ。早かれ遅かれ、君は壊れてしまう。」
「君に会う為には、ビールをやめたら会えるのかな?」
「ええ。ビールをやめたら会ってあげる。君にはまだ終わって欲しくないの。」
だから僕はビールをやめたい。
帰り道に見たスーツとその匂いで悲しくなった僕は、弾けないギターを一生懸命弾いた。
そしてまたビールを飲んだ。
会えないかもしれないけれど、僕にはこれしかできないのだ。
誰もが嫌いなたばこを吸った。これは社会不適合者の証だ。
「言ったわよ。あなたはそこに行くべきではなかった。」
これから僕はどこへ行こう。
夕焼け空は言わずもがな綺麗だった。
僕は今間違いなく酔っぱらっていた。
誰にも会いたくなかった。
「だったら文章なんて書かなかったらいいじゃない。」
誰もがその通りを通り過ぎて、それを僕は黙って見ていた。勿論ビールを飲みながら。
社会、社会はあまりにも遠い。
僕はこれからどこへ行こう。
MUSE | Aftermath | Español | HD ver. Album
暗い話はしたくない
最近はまあ悩むこともなく、かといって悩むことがないわけでもなく、よく分からない日々を過ごしています。
掴めそうで掴めなくて、だけど別に掴むものも特段近くにあるわけでもない。
僕はつくづくこの世界がよく分からなくなります。
最近本を読んで、その本は悪とは何か、みたいなことが書いてある本だったんですけど、悪を完全に排除することはまた別の悪を生む、みたいな、これまたどっちつかずのよく分からない本でした。
つまり何が言いたいかって、完全なる何かなんてここには存在してないってことです。
その矛盾に窮することこそ生きていく辛さだけど、だからこそ生きることにある種の充実感が伴うのかなぁと、将来が全く見えない僕は思うわけです。
だってそう思わないと生きていけないでしょう?
わけわかんないけど、まぁいいかって思うことも時には大事なのかなと思います。
こっちから見たら悪に見えるけど、別の角度からみたらそれは完全に正義だってやつがこの世には間違いなくあって 〜それは例えば宗教がいい例ですが〜 、だからこそ僕が思うことも正解ではないのですね。同様に社会で正しいこともそれが正義ではないんです。
だから一般的に正しいとされていることも社会では間違いであることがあって、「それじゃおかしいだろう」なんてことを言っていたら社会では生きていけないなんてことが往々にしてあるんじゃないかと、就活をしていて僕は思います。
そしてそれを変えることは難しい。
絶対的な正義なんてこの世にはないからです。
社会は、というか組織は、間違っていることも大いに包含していなければ組織として成り立たなくなってしまうことがあるのかもしれません。
そしたら死んでしまったら楽なのかと思うけれど、周りにいる人を見ればそうは決して思えない。
自分と仲良くしてくれる人もいるし、こんな自分に価値を見出してくれる人もきちんといる。
そしてそういう人たちも僕と同様にこの世界にきちんと生きていて、この世界で悩みながらきちんと生活している。
そんなことを思えば僕は簡単に死ぬわけにはいかないなぁと思うわけです。
そういう人たちがいてくれるからこそ僕は生きていけるわけです。
だから僕はそのコミュニティを広げるべく、出会い系サイトに登録しました。
書きたいことは以上となります。
社会はやっぱりクソだけど、出会い系サイトはもっとクソです。
社会は思ったより素晴らしい。
この抒情に
強くなりたい。
そんなことは誰にだって言えた。
でもそこから発せられたそれは違った。どこがどう他と違うのか、今ここに明確な言葉を持たないことを僕は悔やむけれど、でもそれは明らかに他のものとは違った響きがした。それは切実な、ある種祈りに似た、どこかへ向けた強いメッセージだった。
「強くなりたいねん。強く生きていくねん。」
違和感のある関西弁が、その祈りの意味を大きくこだまさせた。
午前5時。
あと少しもすれば誰かが起きるだろう。網戸の音が聞こえてきて、暖かい布団に温められたその足が、この地面を確実に踏みしめるだろう。僕たちを待っている日が、そこにはきちんとあるのだ。
5月ももう終わりだった。窓の外は明るく、小鳥のさえずりが僕にははっきりと聞こえた。太陽はもう昇っていた。外の匂いはすっかり春のよそおいを消していた。
僕はひとりぼっちだった。
たばこを吸いに外に出た。いつも着けているイヤフォンは家に置いてきた。
静かだった。僕は少しだけ安心した。
空は晴れていた。鳥が空を大きく舞った。何もない朝の静けさが、僕に色々なことを考えさせた。
「動物は異常者には近づかないんだよ。ほら。尻尾を振ってる。異常な空気って動物も分かるんだよ。よしよし、いい子いい子。」
あれはいつだったけ。僕が遠いところにいることを自覚したのはいつからだっけ。
見るものも特になかった僕は、タバコの煙の行き先をただ見守った。気がつくとタバコが短くなっていた。捨てられないゴミだけが増えていった。
「タバコはやめるんだよ。」
それを言ってくれたのは誰だっけ。
大きく書かれた診断名に、当時の僕はどう思ったのだろう。
「.........生きづらいとは思いますが、自分の特徴をきちんと理解して、それに対処する術さえ身につけられればすごく楽に生きられるようになると思います。みんなとは違った物の受け取り方や物の見方をしてしまうだけですから。情動の制......社会に馴染めるような価値観を.......。そうですね、はい。あと過集中に関........ご家族や学校の方にもそういった特徴を理解し.....」
母親が泣いている。僕は申し訳なく思う。そんな僕たちを誰かが優しく諭す。
僕にはきちんと空が青く見える。晴れていたら勿論気持ちがいい。自分も、そして好きな人たちにも、みんな一様に幸せになってほしい。僕も同じく願っているのに。
空は本当は青色なんかじゃなかったのか。
僕は遠い。だからこそ、その響きに憧れる。
強く生きていこう。
午前6時。
遠くで電車の音がする。電車にはきちんと目的地がある。電車は毎日そこへ向かって走っていく。僕にも明確な目的地があればいいと思う。
朝が始まる。もうすっかり街は起きている。
多くの足が地面を鳴らしている。誰かはあくびをする。そしてやがてパンをくわえて走り出す。
僕はベッドにいる。青い空が僕を見下ろしている。小鳥が鳴いている。
寝れない夜は寝つく朝に変わっていく。色んな人がいて、色んな日々がある。
でもみんな幸せになりたいと願っている。だからこそ悩みがある。だから願う。だから変わりたいと思う。
「強く生きていくねん。」
僕はその響きに、そのアオサに、焦がれている。
お互い楽しい毎日を過ごしていこう。