殺人
険しい顔の人が何名か、画面の向こう側で合図している。
それはあきらかに非日常であり、おそらく危険信号である。
そのとき僕は、この人たちの発信信号の意味を考える。その発信信号の行く先を睨んでいる。
僕が一番悲しく思うのは、遺体に囲まれたその情報を露骨に見せようとする「奴ら」そのものである。
僕はこんなにも巨大な世界が、深刻な顔をしながら「とある場所で殺人犯が大量に人を殺した。」と報道せねばならない義務について、今後何年間かかけて理解せねばならない。
そうでもしないと僕は変な人に思われてしまう。
僕には人々がそういった非日常的な、不快でドロドロとした報道をちょっとしたフィクションとして味わっているようにしか見えなかった。
それはついさっきこの現実世界で本当に起こった出来事なのだと僕が言うと、人々は「知っている。」と僕に説明しくれるのだろうか。そのままの、冷ややかな目つきで。
異常だよ。
世の中のほぼ全員が見も知らぬ人が、世の中のほぼ全員が見も知らぬ人を殺している。
そんなことを世間に伝えて何になり、そんなことを知ってどうなるのか。
なぜそれを見ようと思うのか。
果てはなぜその情報を見続け、何か言葉を発せられるのか。
「ご気楽なもんだ。いいよな、お前らは知らないんだから。」
現実世界では物足りなくなったインターネットも、今ではここでさえリアルに溢れてきてすっかり飽きちまったと言う。
「ディズニーランドには非日常が詰まっているだろう。健全なんて甘い言葉が嫌ならもう吐き出しちまえよ。立派な異常者だ。そんなにスリルが欲しいなら麻薬カルテルとでもつるめばいい。」
そう言って僕はパソコンをハンマーで叩き壊した。
「自分とは全く関係のない知らなくてもいい惨忍な出来事を知ろうとすることに関して、あんたらは何一つ疑問に思わないのか?」
僕が言いたいのは行為の善悪なんていうチャチなもんじゃない。
世界中に蔓延る悪意を伝えなければならない異常な世界と、自分たちのことを棚に上げてそれよりももっと巨大な絶対悪を伝えることが正義だと信じて疑わぬ人間の異常性。その取り巻きの顔。
考えろ。自分の手を見てみろ。
僕は、間違っているのか?
画面が何かを映し、何かを発し、そして僕は震える。
「奴ら」の発言すべてが「正常な私たち」という音だったから。
僕らは、おかしくなんかない。おかしくなんか全然ない。
だから今すぐにでも二面性や狂気だなんていう言葉を持ち出して容疑者を容疑者たらしめることをやめろ。
「そんなもの誰にだってあるだろう。すぐ側にあるんだ。よく見てみろ。あっちに行きゃすぐ獲れるんだぞ。」
行為をするかどうか、ただそれだけの違いだから。
それこそが、ただそれだけが大きな差異であって、気質としてそんなに変わらない。ただそれだけの。いや、ただそれだけだ。
強いフリをしている。
いつ堕ちていくかなんて誰にも分からない。
変わらない俺が、お前たちを見ているとたまにたまらなく怖くなる時があるんだよ。
脅えている。
自分ももしかしたらああなってしまう可能性があることに。
その可能性から、自分に疑いの目を向けざるを得ない悲しさに。
そして何一つ疑うこともなく、狂気を狂気だと言って非難できる人間の強さに。
僕は、言い切れない。
弱いんだよ。
しばらくすると玄関から音がして、笑顔のお前が帰ってきた。
「ごめん、今戻ってきたよ。ありがとう、用意してくれてたんだね。うれしいな。」
お前は鼻唄を歌いながらサラダを取り分ける。
俺はそれを黙って見ている。
「なぁ、俺ってやっぱり怖くないか? 」
世の中の知らないほうがいいこと。
多分それは知らなくてもいい。
だって知らないほうがいいんだから。
悲しい出来事。
それを知る意味が僕にはまったく理解できない。
だからお前だけには何も分かっていないような顔をして言って欲しい。
「こんなにも大勢の弱い者を殺すなんて人として最低だ。同じ人間とは思えない。」
と。
大きな声で。俺に憤って。
大いに俺は喜ぶよ。
僕はきっと、仕方がない。
だからずっと。
これからもずっとだ。
笑ってなんかないし何もおかしくなんかないよ。
流れているくだらない恋愛ドラマも、愛し合うことでしか曲を作れないバンドの歌も、今なら、心から、許せるよ。
「私は無縁よ。あなたは本当にどうかしている。」
俺は羨む。
何の疑いもなく自分が安全な人間だと言い切れること。
僕は銃口を向けた。
「なぁ、嘘だと言ってくれないか。」
通り過ぎていく風は冷たい。そこにある音はきっと何もない。
僕は残り香だけは離さないと、そう誓ったのだ。