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なにもないよ

フィクションは河合隼雄のくしゃみがする

 

背の高いすすきが生い茂るあの丘の上に、ヤツは立っている。

陽の光を浴びて、少し背を丸めて、眼下に広がる綺麗な海でも見ているのだろうか。

風の中を歩いている。

無関心を装うこと。それは酷く難しいがなんとも生きやすい。

俺は嫌になった。

ああ。

「それを言われてお母さんはどうすればいいの?」

 

そして今、俺はあそこに行ってヤツをぶん殴ろうと思う。

俺がヤツに与えることができる暴力のすべてを行おうと思う。

壊してやるのだ。お前がそうしてきたように。

壊してやるのだ。どうしようもないくらい。

壊したくて壊したくて仕方がない。狂おしいほどに壊したい。

足りないんだ、何もかも。全て足りない。なんで足りないんだ。

 

みんなは海が見たいと言う。

海は綺麗で素晴らしいからだと声を揃えて言う。でも俺には分からない。

ぶん殴る。気持ちが加速してくる。もっと壊してやりたい。

暖かい素敵な場所でごはんを食べよう。だって俺たちは心からそれを望んでいる。

俺はその日、駅のホームで自分が帰るべき場所に向かうための正しい電車に乗り込んだ。

そしてそいつの頭を鉈で打ちぬく。額に汗が流れ出す。止めないとまずい。俺は知っているんだ。

「もう嘘はやめなきゃ。なんでそんなことをするの?」

蹴りあげる。

「なるほど。サンタクロース君はロックスターなんてとんだパチもんだってことが言いたいのか。

そりゃ俺もなれるものならロックスターよりトナカイになりたかったさ。

でも生憎生まれつきの弱視なんだ。あんまりモノがよく見えない。」

白く透明な肌。そこを流れる血はあまりに紅く美しい。

優しい気持ちで生きていたい。心から優しく。永遠に優しい気持ちのまま。

 

風の中を何も言わずに歩いて行くお前は悲しすぎる。

俺はもう何をしても現状が変わることはないことを知っている。

でももう戻れない。心が何かを必死に求めている。

再び拳を上げる。血しぶきが顔にかかる。ナイフで喉を裂く。

立ち上がるな。何か言ってくれ。

沸き起こる衝動で、自分の体ごと粉々に粉砕したい。

再びそいつの口元を殴る。

その時、ひどく鈍い音がした。

俺は嗚咽を上げながら崩れ落ちてしまう。

謝ってくれよ。どうして俺をこんな気持ちにさせるんだ。

目の前で小さな声がする。何かが違う。

また殴る。

後悔させないでくれ。

俺は一体どうしたら満たされるのだ。

 

俺はクソだ。

そこら中に落ちている破片を必死にかき集め、そいつを元通りにしようとする。なんとか戻してやりたいと強く思う。何がそんなに憎く、自分が何をしたいのか分からなくなってしまった。

俺はダメになる。

どんどんダメになっていく。

自信がなくなっていく。

俺はずっと強く何かを信じていたかった。

謝る声が聞こえてくる。そいつはずっと謝っている。

違う。俺が求めていたのはこんなのじゃない。何も解決していない。俺を殺してくれ。

結局のところ誰になにをされても俺が満たされることはないようだ。

 

海が見下ろせるあの丘の上で、ヤツは背を丸めて手を振っている。

俺からはその後ろ姿しか見えないのだが。

海は何も語ることはない。それは人ではないのだ。

だけど少しでいいから何かをヤツに語ってやってくれないか。

俺が望むものではない特別なやつ。

そしてしばらくして海は消え、ヤツは手を振るのをやめた。

「優しいいい子なんだから。自信を持って。」

 

どこかに行けばきっと何かあるはずだ。

俺は声をあげて泣きたくなった。

 

 


Sufjan Stevens, "Blue Bucket Of Gold" (Official Audio)