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名前をつけてください

なにもないよ

飢餓

 

「わたし、大型トラックが運転したいのよ。すごく綺麗なの。キラキラ光ってとっても大きいんだよ。あそこの荷台を部屋にして、間接照明に囲まれて暮らしたいの。」

ある時期付き合っていた彼女があまりに大真面目な顔をしてこんなことを言うものだから、僕は彼女に大型トラックをプレゼントした。

僕はその時運転免許なんて持っていなかったけれど、頑張って車の買い方を知人に聞いて回り、それを彼女にプレゼントした。

彼女はとても喜んでくれた。その笑顔たるや、どんな優れた画家も忠実には描けないだろう。もちろん僕も、それをうまく言い表せる表現を知らない。それさえ知っていれば、僕は彼女を見失わずに済んだのだ。

僕は何も知らない。

彼女は東京出身だった。どう考えても、大型トラックが東京の街をプライベートで走り回れるわけがない。

数年後僕が上京して、そのトラックがたまたま通りかかった中古車を取り扱うお店にあった時、僕は胸が冷えて収縮した感じがした。

いや、事実きちんと冷えて収縮した。多分何年分かは本当に寿命が縮んだと思う。

しかし車内のどこを探しても、彼女が大好きだったキャラクターの人形は見当たらなかった。だから僕は今でも、あれは彼女のものではなかったと思っている。

僕は隈なくそれを覗いたのだ。店員に注意されようと、僕は構わずそれを覗いた。

この僕が言うのだから間違いない。

車のナンバーは1109だった。

 

僕はふと、自分がロックミュージシャンにならなければならない人間なのではないかと感じた時があった。

だから僕はその使命を忘れぬよう、その日のうちにコンビニへ走ってタバコをワンカートン買いに行った。

その時の僕はタバコの買い方なんて全くわからなかったので、店員にてきとうな番号を言ってワンカートンを持って来てもらった。

今でも僕は思う。どんな日もタバコはまずい。

 

でもいいことだってある。 

 

僕の二番目の彼女は、僕と同じキャスターマイルドを吸っていた。

あれは寒い冬の朝だった。僕は缶コーヒーを片手に、イヤホンから流れる暴力的な音楽に倣って街のコンビニでタバコをふかしていた。

すると彼女は僕の肩を叩き、僕にイヤホンを取る間も与えず言った。

「すみません...。ライターを貸していただけないでしょうか?」

それから僕と彼女はすっかり意気投合して、キャスターマイルドについて5分は話したと思う。

キャスターマイルドは本当にマイルドであること。実はそんなに匂いがスイートではないこと。ウインストンの今後の未来と戦略、JTの悪口。

 

「税金払ってるんだから、喫煙所の一つや二つ作りなさいよ。」

僕は彼女のこのセリフに痺れて、彼女に好奇心を持った。

どこにでもあるような、なんならテレビの受け売りにさえ聞こえるセリフである。

こんなセリフを、タバコを吸いながら自慢げに話す彼女が僕はとても愛おしく思えた。

でも僕はそれ以来彼女に会っていない。

ではなぜそんな人を彼女と呼ぶのか、それはみなさんの気になるところでもあると思う。

事実僕もそこのところはとても気になっている。

でも今こうして文章を書いていて思ったのは、その発言に僕が尋常じゃないほど彼女を愛おしく思わせる何かがあったこと。そして僕がタバコを吸う本物のロッカーであったこと。この二つに尽きると思う。

 

 

小説を書きたいとは思うけれど、僕には全くもって小説が書けるとは思えない。

だって僕は、小学生の時にファーブル昆虫記の一ページ目から自分がどの段落を読んでいるのかを見失うようなやつだったから。

僕は全く小説を読んでこなかった。

僕は幼少の頃、親が嬉しそうに買ってくれるという理由だけで本を大量に買ってもらっていたのだが、大体の本は読んでもいないのに勝手に読んだ体にして、父親の講釈に知ったような顔で頷くだけの少年だった。

僕は小説の技法で言うところのメタファーが大好きだったが、肝心のそれが一体何を意味しているのかなんて全くわからなかった。

ただ文脈から外れたおとぎ話を、コントのように読んでケラケラ笑っている中学時代だった。

大学なんてもっと最低なもので、僕が「頑なに」を「がんなに」と読んだ日には  ーー  それが何番目の彼女かは忘れたけれど ーー  彼女は僕に大きく、それはそれはとても大きく微笑んでくれたものだ。

そして今、僕の文章を読んで彼女は言うだろう。

「それは微笑みじゃないのよ。」

さあ、また微笑んでくれ。

 

僕には悲しいことが自分の周りに多いだけなのか、それとも世界の巷に溢れているありふれたモノなのか、よく分からない。

だから僕はせいぜい知ったふりをして、人生なんて悲しみの本質そのものだよ、なんて講釈を垂らすことしかできない。 

でもそれにしたって周りの人間が異様に輝かしく見えてしまう日なんかは、僕はもしかしたらこの世界において人間としての数に入っていないんじゃないかと思うようにしている。60億人に1人や2人異星人が混じっていようと、この世界にはなんの影響もないのだ。きっと。

 

僕は自分の分析上、何かが酷く欠落してしまった人間のように見受けられる。

それは多分5番目の彼女も同じことを言うだろう。

ほぼ全ての人たちが、僕のもとを僕に大層辟易して去っていった。彼女たちはもちろん僕に何も話さなかった。何一つ言わず、何の文句も言わず、さよならの言葉を交わす間もなく、僕にほとほと愛想尽かしてこの世界から出ていった。

彼女たちが少しでも僕に何かを語りかけて行ってくれていたら、僕は僕なりに回避の余地があったと思う。

けれど彼女たちに何かを言わす時間を持たせないほどまでに僕は、彼女たちの善意を踏みにじってきたのだろう。そしてそれに気づかないところこそ、僕みたいな異星人は異星人としての証を持つのだ。

 

 

1109。

それは僕が大学時代の7年間を暮らした部屋の番号だ。僕はよくそこでメソメソ泣き、ゲラゲラ笑い、隣人によく嫌がらせをされた。

それは決まって僕の部屋の右隣のやつによる犯行だった。左隣のやつはもはや息をしているのか怪しいくらい静かだった。そして僕は思ったのだ。

なるほど、世の中の大半は右で構成されているのだから、勿論一番厄介なのは「右」の概念なのだ、と。

だから僕はある時から「右」を極度に嫌うようになり、あえて「左」の概念を持つよう努めた。

言わずもがな箸は左手で持ったし、ドアを開ける時は左手でドアノブをつかんだ。ウインクする時は左目をつむったし、エスカレーターは有無を言わさず左側に沿って並んだ。僕はあらゆる「左」を実行した先駆者的存在なのだ。

しかしそんなことも2年間したらやめてしまった。ご飯はたくさんこぼれるし、ドアを開けるのに1分はかかった。ウインクは気持ち悪がられるし、エスカレーターはみんなどこに立っていても文句を言ってきた。

要するに世界は、僕が如何様に努力しようと全く何の変化ももたらさなかったのだ。

そのようにして僕はその7年間を、あらゆるめでたい死体たちと暮らした。大学生活なんて得てしてそんなものだ。誰もがきっと、「右利き」である自分を嘆いたに違いない。

 

しかし不思議なことがあるものだ。 

僕はある日から家を追い出された身だった。

別にその大学へは実家から通えたのだけど、両親があまりにも僕を拒むものだから、僕は途方に暮れながら、あの部屋のベッドの隅でジッと座ってただ時が過ぎるのを待っていた。まるで死刑執行を待つ囚人のように。

そして僕は思う。

多分囚人も隅っこが好きだ。あそこはあらゆるものを受け入れるためにできた穴なのだから。彼らを待つ場所はあそこにしかないのだ。

そこに場がある限り隅っこは存在し続け、そこに世界がある限り異星人は異星人として存在し続ける。

なんて素敵な世界だ。これだけは創造主である神を褒め称えるしかない。

 

はじめの春は、本当にあの1109号室が嫌いで仕方がなかった。僕は涙さえ流した。あまりに僕がメソメソ泣くものだから、ささやかな励ましとして僕の部屋にはよく毛虫が来てくれた。

でも仕方がなかったのだ。僕にはそこしか居場所がなかったのだから。

僕はある時から、こんなところに僕が追いやられたのは全て自分が悪いのだと思いこむことにした。僕には何かひどい重大な欠陥があって、そのせいで両親は僕のことが嫌いになってしまったのだ、と。

そうすれば僕は両親を嫌わずに済んだ。両親の愛情を変わらず信じることができた。

 

あの部屋は、本当に日差しが強かった。だから僕は、心から太陽を憎んだ。あんなものがなければ僕はこんなことにはなっていなかったのだと思った。太陽が辺りを明るく照らすから悪いのだ。

どうすれば太陽を消すことができるのか、僕はよく思案した。

 

当時は周りにある家具全てが僕に襲いかかってくる気がしたし、僕はここにいるべきじゃないと心から思った。

しかし僕が実家に帰りたいと懇願すればするほど、両親は僕を強く咎めた。だから僕は、両親に懇願したことを謝った。だって全ては僕が悪いのだ。何かをお願いする権利が、この僕にはあったのだろうか。

しかし僕は自分が何に対して謝っているのか、皆目見当がつかなかった。

 

 

僕がこの不条理な世界に産まれてから2489番目に話した女の子は、僕が見てきたあらゆる女性の中で一番美しい女の子だった。というよりも、僕が生涯出会うであろう女の子の中で一番美しい女性だった。僕は今でもそう強く断言できる。

僕は彼女に強く憧れ、彼女になりたいと心から思った。 彼女の中を駆け巡る思考の果てを考え、彼女のあの強い眼差しに映る汚れた世界を深く思った。

僕には彼女の全てがあまりに綺麗で、とても輝かしいものに見えた。

でも僕にはどうすることもできなかった

だって僕は異星人なのだ。あらゆる下賤な勲章を、あの忌まわしき1109号室に隠したスパイなのだ。

だから僕は、彼女から逃げ出すことばかりを考えた。

彼女に嫌われ、彼女を心からうんざりさせたい。

僕はそんなことをあの怠惰な春に、心地いい夏に、寂しい秋に、諦めの冬に思った。

いつものように何も知らぬまま居なくなってしまうくらいなら、事の全てをきちんと理解し、僕の方から進んで彼女にさよならを言いたかった。

でもそんなことは到底無理な話だった。だって僕は、そんな彼女といつまでも仲良くいたかったのだから。

 

人間はより遠くの惑星を求め宇宙船を飛ばし続けてきたが、この僕は、どこまでも果てしなく欠けてしまったあの無償の愛を求め続けるだろう。それがきっと、僕が異星人として与えられた使命なのだ。

僕は思う。

これから出会う女性は全て彼女をベースに見てしまうだろう。

全ての女性は、彼女からの引き算によって成り立つのだ。

 

 

2月。

冬はまだ終わらないことを確信しながら、でも僕はたしかにそこに春の息吹きを感じた。

それは昼間に漂う光の匂いから。外で騒ぐ子供たちの声から。少し遠くにある赤いレターボックスの渦の中から。

太陽の光は相変わらず鬱陶しく僕の部屋を、つまりは僕の心を、焼き尽くした。

 

 

僕が太陽が陽気さを纏った、しかし一方でその陽気さに憧れるアンバランスな存在だと気づいたのは、大学4年目の夏だった。

 

世の中には才能と呼ばれるものがある。

それは確かに特別なものだが、しかし時として人を破壊してしまう。

人は、才能を持つだけでは何も成し遂げられない。それをうまく手名付ける能力が必要なのだ。

ある者がその才能を利用して生きていこうとするには、その才能を自分自身で強く自覚し、どのようにしてそれを使っていくかを思案せねばならない。

それはある種で驕りの意味合いを持ち合わせ、我々は社会に生きるかけがえのない人類の一員として、人を貶して生きていく覚悟を持たねばならなかった。

あるいは、才能に対する巨大な見返りを求めるあまり、濁流に飲まれ死んで行く覚悟を持たねばならなかった。才能ある彼らの一部は、もうそれが十分であることを心から理解できない。

そして彼女は、恐らくそれを知っていた。自分の中の内なる才覚も、それを持つことで伴う危険についても。

彼女は”残念ながら”、才能を持つあらゆる者の中であまりに優しく、頭が良かった。そのために彼女は、社会との関わりの中で上手に生きていくことができなかった。

彼女もある意味では、才能と引き換えに、それに怯えながら生きる運命を背負わされた悲しき異星人だったのかもしれない。でも勿論それは僕なんかとはまるっきり違う。彼女は異星人になることを自ら望んだのだ。

 

彼女は言った。

「私はただ口笛を吹いていたの。でも褒められてしまったから。仕方ないのよ、頑張らないと。だってそこには私しかいないんだから。」

 

彼女と話している最中、僕はよく思ったものだ。

もし僕が彼女だったら、もっとうまくそれを手名付けられただろう。

そして僕は彼女のことをもっと知りたくなる。

だって僕は、優しくなかったから。

 

 

人類には ーー それは勿論我々異星人にとっても ーー 大事なものを失くす苦しみがある。

大切なものは、僕らの人生にとって永遠に地続きではないから。何かをとても愛おしく思うのは、その終わりを知っているからだ。

そしてこれは、僕が男に、あなたが女に産まれたことによる悲しき副産物である。

ある者はこれによって祝福されるだろう。

こんにちはマリア。産まれてきてくれてありがとう。

しかし僕は違う。僕はとても苦悩する。自分が異星人であることを強く悔やむ。タイに飛んで、あらゆる世界の秩序を壊したいと思う。

それでも僕は求め続ける。週に数回の慰めの後、僕は自分が男であることを悲しく思う。

そこで僕はやっと、変われない自分を知る。

全てを口にできたらどれだけ楽だろう。何食わぬ顔で言ってみたいのだ。平気なふりをして、気が向くままに、強く、言ってみたいのだ。

 

僕は暗い話が聞きたい。そしたら僕はとても満足するだろう。これこそが彼女のためなのだと。僕は彼女の素敵な人生の、ごく僅かな、ほんのささやかな、微笑ましい一部になれたのだと。

馬鹿げている。夢物語を聞かせてくれるのは、この地球において母親以外誰一人として存在しない。僕は産まれる場所を間違えてしまったのだ。

愛の探求。世界の果てに到達。

「なんなのよ。一体何がしたいの?」

そして僕は繰り返す。いつもと同じように、僕の知らぬ間に彼女は誘拐されている。愛想と言う名の悪魔によって、彼女は遠くカリフォルニアへと連れ去られている。

僕はひっそりと涙する。1109号室。

さらば愛しき友よ。

 

 

3010号室の扉を開ける。

そこに彼女は立っている。髪の毛は少し濡れている。

彼は靴を脱ぐ。すると目の前から、あのなんとも言えない懐かしい匂いが漂ってくる。あの部屋の、あの匂いが、あの頃と何も変わらず漂ってくる。

廊下を少し歩くと、ムッとした暑さが彼を覆う。これも昔と何一つ変わっていない。でも彼はそれを気にも留めない。黙って扇風機の風量を強めにする。

テレビがついている。くだらないバラエティー。アイスティーが置かれた机の下には勿論、既に飲み終えたペットボトルが何週間にも渡って捨てられている。

喉が渇いた彼は、立ち上がって冷蔵庫を開ける。そこには色んなものが乱雑に積み上げられていて、それを見ていると彼は自分が欲しかったものが段々分からなくなってくる。そしてその僅かな隙間から、冷蔵庫用消臭剤を発見する。彼はなんだかおかしくなって、大きな声で笑ってしまう。

すると彼女が向こうから急いで走ってくる。開けるなと言っただろうと彼を叱る。彼は訳もなく謝っている。僕はその遥か遠くから、彼に左目でウインクを返す。

なんて幸せな日常なんだ。なんてありふれた幸せなんだ。

軒下には桜が咲いている。

 

僕は、彼らが僕の同胞であることを強く願う。

彼らが誇り高き異星人として、いつまでも変わらず、強く生き続けることを心から願う。

きっとそれだけが、僕の涙を乾かしてくれる。暖かくて優しい。いつまでも暖かな、優しい太陽。

ありがとう。

もうそんな素振りなんて必要のない、幸せな日常。

 

 

 


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