パネル描きの男の人
君は日本語がうまく話せなかった。
いや、といよりもそうだな...。もっと正確に言おう。
そもそも君は、言語が意味を成すための法則にしっかり則ってそれをきちんと相手に提示することができなかったし、そういった法則の下で人から与えられた言語を確実に理解することができなかった。
要するに君は、言語が扱えない人だった。
君はアメリカでもフランスでも、勿論ここ日本でも、誰とも会話をすることができなかった。言葉を持たないということは、つまり君はひとりぼっちだった。
でも君は人と通じ合うことを望んだ。
人は人と通じ合うことでしか自己を確認することができない。みんな誰かを望んでいる。そしてみんな誰かに求められたいと思っている。そうじゃないと私たちはここにいることさえも確認できない。それは勿論君も同じだ。
そりゃ一部では君も孤独を望んだかも知れないけれど、それだって結局は繋がりを望む枠組みの中で生まれた孤独であって、最早それも繋がりのシステムの中でしか成り立たなかった孤独だ。
体制派の中で生まれた反体制派という枠組みが、結局はそれだって彼らが対抗した体制派の一部でしかなく、あまりにも脆い結果で終わったのと同じ理屈だ。連合赤軍も革マル派も、もうここには存在しないのだ。彼らもきっと、この世界のどこかで、この体制下のどこかしらで、汗水垂らして懸命に生きている。
そんなわけで、君はパネルに絵を描くことにした。絵を描くことでなんとか人と通じ合おうとした。君は君ができる最大の力を持ってこの世界と交じり合おうとした。
たしかに君に誰かの言葉がはっきりとした意味を持って響くことはなかったけれど、君は世界やそこにいる人々を君の中でしか成り立たない君独自の言語を以って観察し、それらを懸命にパネルに描いた。そうすることで世界と共存しようとした。
しかし大半の人間はそんな君をバカにした。
「なんなんだ、君は。なんで何も話せないんだ。声は出ていても意味がわからんよ。うめき声をあげるんじゃないよ。耳障りだ。」
そういうわけで、君は世界から”ただの無能な男”と呼ばれることになった。
そしてそれと同時に、君は”ただの無能な男”としてこの世界に存在することになった。
そんな光景に対して、君がこの悲しみを彼らに表現できる手段は皆無だった。だから君は”ただの無能な男”として、懸命にパネルに絵を描いた。
それしか君にはできなかったのだ。
しかしパネルに絵をたくさん描いていく内に、君は段々嫌気がさしてきた。
パネルの絵なんて誰も見ていないことに気づいてしまったのだ。
これはとても残念なことだ。一人の、世界に順応しようとした罪なき人が、まさに今世界の圧倒的な力に屈しようとしているのだ。誰がヘレンケラーを殺せるだろうか。誰がナチスを許せるだろうか。
「一体誰が、異常なこの世界を正常なまま捉えることができるだろうか。」
そういうわけで、それからの君は”パネル描きの男”として存在することになった。
圧倒的な絵を描くことで、君は誰もがその絵に振り向いてくれることに気づいたのだ。
どんな権力者も、どんな美人も、君のその圧倒的な絵を前にするとすぐそちらに目を向けた。どんなに近くで身の毛がよだつような爆風が聞こえてきても、どんなイカした男がその通りを颯爽と通り過ぎても、君の絵の前では誰もがそれらに見向きもせず君の絵に見惚れていた。
すると、次第に君の中で世界がちっぽけなものに感じられてきた。この世界がてんで取るに足りないものに見えてきた。結局は皆、圧倒的なものの前にはひれ伏すことしかできないのだ。
だから君は、より過激なものをより力強く肯定的に描き切ることで、みんなに自分の絵を見てもらおうとした。つまりは自分の存在を知ってもらおうとした。
君はそう。”パネル描きの男”だ。
より過激で、より極端に、より力強く物事を肯定する。
それが君にとっての”パネル描きの男”たる所以だった。
しかしそれと相まって、君の世界は日に日にちっぽけになっていった。
テレビの取材は家の前を覆い、どこへ外出するにもカメラがあちこちで光った。みんなが笑顔で君に近づき、とても親しげに話しかけてきた。
勿論それに対して君は今まで通りうめき声しかあげられなかったが、みんなそれをありがたそうに聞いてにこやかにしていた。
”こいつらはバカだ。”
君はそう思ったと思う。
”何を言っても結局は何も変わらないんだ。誰も何も気にしちゃいない。何を言おうが世界は変わらないし、何を言わなくても世界は一緒なんだ。どれにしたって、結局圧倒的な力の前では何もかも捻り潰されるだけなんだ。”
”〜社会なんて取るに足りない〜”
なぁ、”パネル描きの男”。君は最後まで孤独なつもりでいるのかい?
君はある晩、その力を以ってある人と寝た。
君にとってはそれがはじめての時で、そのせいで君はとても緊張していた。横にはその人の頭があって、その人の香りがあって、その人の呼吸があって、その人のそのままがあった。
その人は生き、そう、正に今、君のすぐ隣で、その人はそのままの形で生きていた。綺麗な言語を話し、綺麗な笑顔をし、綺麗な呼吸をした。
すると君は分からなくなってきた。段々と、次第に、そして遂に、君はひどく取り乱した。何かが違う、、!
君はパネルを探した。どうにかしなければならなかった。分からなかった。何かを表現せねばならなかった。これを留めておかないわけにはいかなかった。考えなければならなかった。生きていくのだ。言葉だ。言葉だ。言葉だ。
でも君にはパネルしかなかった。仕方がない。これは仕方がないのだ。だから勿論君はパネルを探した。
するとすぐ横でその人は笑った。確かに、はっきりと、その人は笑った。
「何よ。大丈夫。何もないの。私もあなたも、ここには何もないの。安心して。元々ここには何もないの。みんな、元々何もできないのよ。」
それでも君はパネルを探した。君にはそれくらいしかできなかったから。
できること。できないこと。やりたかったこと。やりたくなかったこと。自分の理想。自分だけの理想。諦めきれなかった価値。どうしても諦めきれなかったもの。
そういうわけで君は”パネル描きの男の人”になった。
それも”素敵なパネル描きの男の人”だ。
そしてそれと同時に”一人の素敵なパネル描きの男の人”として世界に存在することになった。
「一体誰が、異常なこの世界を正常なまま捉えることができるだろうか。」
分からない。
でも君にはパネルが描ける。それもとっても素敵なパネルだ。架空の女の子が、たとえそれがほんのささやかなものだとしても、一人でも振り向いてくれる、そんな素敵なパネル。
そんなものが実在するかどうか、ましてや本当に女の子が振り向いてくれるかどうかなんてさして問題じゃない。
何人もの人が振り向くものではないけれど、それはそれは君はとても立派な”パネル描きの男の人”だ。
誰も君を”素敵なパネル描きの男の人”とは呼ばないけれど、もうこの世で君をそんな名前で呼ぶ人はいないけれど、それでも君には立派なパネルが描けるじゃないか。
言葉も話せない。だけど君は世界を知ろうとする。
言葉がうまく話せない。だけど君はこの世界でよく生きようとする。
それでいいじゃないか。
一体君は明日は何を描くのだろう。
仕方ない。仕方ないのさ。仕方がない。仕方がないのさ。
Sufjan Stevens, "Blue Bucket Of Gold" (Official Audio)