名前をつけてください

なにもないよ

全くできなくて、たくさん笑われて

 

言語を聞き、そしてその言語を脳内で解釈して命令通りに行動に移すことが、自分にとってこんなに難しいことだったなんて知らなかった。

人に何かを言われ、それに心底傷つき、一切その人の言動を素直に受け取れなくなる自分にも、そういうことをやられすぎてほとんど無感動に人間に接している自分にも、そして「知能の障害、および相互的な社会関係・コミュニケーションのパターンにおける質的障害」と難しい言葉で書かれた医者からのささやかな悪口も、俺は完全に忘れていた。

 

あまりにもうまくやれているから、俺はすっかり忘れていた。いつからかなんでも自分はできると思っていた。努力さえすれば、俺にはなんだってできるんだと。俺は違うんだって。

舐めるなと思って、そうやっていつも社会や他人を眺めていた。だからいつも誰かを、なにかを、絶えず攻撃していた。悪いのはこいつら全部なんだって。だけどそれを面白いと思ってくれる人がどこかにはきちんといた。自分で言うのもおこがましいけれど、これを素敵な思想だと言う人さえいた。

俺には訳がわからなかった。俺はただ普通の営みに合わせられなかったことを自虐的に捉えていただけだったから。自分を維持するために他を攻撃する韓国やロシアみたいなものだったから。

俺は世界情勢そのものだったから。

ただ利用されるだけ。

 

 

いつからか世の中は障害が流行った。人をバカにして笑いをとれることそれこそが面白く、知的な笑いなのだと皆が言った。人のおかしさに気づける自分は頭がいいとみんなが言った。どんどん障害の流行は加速した。ある種の人間たちからは、倫理は棚に上げて、いきすぎた障害であることそのものが笑いを生むための必要条件なのだと言わんばかりの印象を受けた。本当は、悲しかったことを笑いにする話のテクニックが俺の憧れだったのに。

街中では酒が流行り、インターネットでは個人的なセックスが流行った。みんなおかしかった。悪意で悪意を笑い、誰も正しいことで笑わなくなった。そしてより歪んだ人間は正しさで人を殴る遊びに勤しんだ。誰も何も正しくなんてなかった。

こんな汚い病み方するくらいなら、俺は早く暴動が起きてほしかった。暴動を望んでいる。暴動が必要だ。みんなも薄々そう感じていると思う。暴動の方がはるかに平和だからだ。

 

俺は俺をおかしいと怒ってきた社会を探している。探せる年齢になってしまったから。もう彼らと同じ土俵で議論できるから。もう騙されないから。

 

大人になることは、子供のころに見た正しさがどこにもないことを見させられるだけの映画のようだ。俺は観客としてただ席に座っているだけ。何をすることもできない。そして上映時間は人による。

唐突にブザーは鳴る。君はとてもびっくりするだろう。映画の始まりは誰も知らない。

薬を大量に飲み、震える手で喉元に銃口を持って行く。力の抜けきった左手で遺書を書く。車内には大音量のボブディランの音楽が鳴っている。Hey hey my my。映画はもう始まってしまった。上映が終わる頃には、君はもう風に吹かれている。

 

 

ついこの間、昔の友達に会った。

そいつとはよく一緒にドライブをした。古着屋に行ったり、夜中にラーメンを食べたり、水タバコを吸ったりした。モテたいとかどうでもいいことばかり話した。生きていくための何かとか、知恵とか、そんなこと何一つ話さなかった。どこまでも無駄な時間を一緒に過ごした。車のフロントガラスの向こうはいつも虹色だった。大きなボックスカー。家族共用の車なのに、何回かぶつけたことがあって凹んでたこともあったね。

ラーメンなんて食べたくないのに、ラーメンを食べた。行きたくない風俗店に俺も連れて行かされて、童貞を捨てるのを見届けてほしいって、そう懇願されたのを思い出す。俺は知らない誰かにちんちんを見られるのがやっぱり恥ずかしくて、店の前の居酒屋で時間を潰した。あれはそんなに気持ちよかったのか。

久しぶりに会ったそいつはMichael Korsのクラッチバックを持って、Lacosteのシャツを着て、渋谷の駅で待っていた。付き合ってほしいと言われてついていくと、そこはもう風俗店なんかではなく、ただの高そうなおしゃれなカフェだった。照明が薄暗くて木がたくさん店内に生えていた。俺はそこにいるひとたちみんなが詐欺師の一味にしか見えなかった。あるいは、悪い不動産屋の営業と水商売の女のカップルにしか見えなかった。俺たちだけがそこらでちらつく仄かな灯りのように目立っていた。

金もってるなら出会い系でやりまくれるから、やったらいいよ。何人したかなんて数えてないからあれだけど、10人は超えてるよ。最初にこういう店に連れてきてから・・・。

意識が遠のいていく。どんどん頭が痛くなってくる。俺はおかしいのだろうか。

 

 

大好きだった人たちが変わっていくのを間近で見ると、俺はとてもいいドキュメンタリーを見ている気がしてくる。

そして多分、世間的には彼らの変わりようが当たり前で、俺みたいに子供みたいなことを言って騒いでるのは変なんだろう。

最近どこかで聞いた言葉が脳裏をよぎって怖くなる。

「どこかで諦めたりできるのが大人になるってことで、何も変わらずに諦めたり純粋な気持ちを抱えて生きているやつはどこかで死んじゃうんだろうな。」

父さん。就職、頑張ってしてみたけど、やっぱり嫌だな。普通に嫌だ。

就職を機に変わっていった人間みたいに俺はなりたくない。

この前先輩と喧嘩して呼び出しをくらったよ。月曜日に面談だよ。いろんな同期にヤバいって言われたけど、俺は理不尽なことには頭を垂れないって決めたんだ。謝らない。

俺は働くために生きてない。プライドの方が大事だから。

働かなくても死にはしないけど、心が動くのをやめたら死んでしまうから。

 

 

大好きな芸人を間近で見て、身体中の毛がよだち、震えながら涙する自分がいたなんて俺は25年の人生で一回も気づいてやれなかった。

彼女ができて、嬉しくて、ちゃんと抱き合って、キスできる自分が将来待っていたなんてわからなかった。

俺に悪いところを超える良いところがあるなんて誰も教えてくれなかった。

それでもいいって一緒にいてくれる人間が何人かいることに、俺は気が付かなかった。

自分を大事にしたい。自分が思ったことは一回認めたい。

そうじゃないと生きてる意味がない。

 

一回どこかでちゃんと文章が書いてみたいな。

書けないだろうけど、書くのは自由だからいいんじゃない。書いたら読ませて。

思ったこと以外言いたくないな。

嫌われるだろうけど、言うのは自由だからそれはそれでいいんじゃない。わたしはいつまでも言われ続けられるの嫌だけどね。

いつも本当にくどいよね、やすは。もう少し大人になりなよ。

またいつものお話が聞きたいな。

 

 


未来電波基地 - 田中慎弥