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なにもないよ

見なくていいですと言って、それでも必死に何かを書く矛盾を好きになってしまうこと。

 

大体において面倒くさいと言われる。そしてまあよく勘違いされる。

なんでもオープンに話してしまう。

すぐ人にほいほいついていってしまう。

笑顔を向けられたら笑顔で返してしまう。

なぜ僕は語尾に「してしまう」なんて言葉を使わなければならないのだ。それらはとても純粋で、いいことなんだよって。なんで笑って言ってくれないのだ。

そのあとで僕はまあ当然のごとく捨てられる。

その時はきっとうんざりした顔をされている。

そして僕は悲しんでしまう。安いウイスキーを買って、我慢できず家までの帰り道に飲む。

強度のアルコールにむせること。たばこを震える手で吸うこと。

イヤホンから漏れる不器用な音楽だけが僕と一緒に泣いている。でも彼らと僕とではそれもまた大きな隔たりがあることを僕は知っている。だって僕は馬鹿じゃない。彼らは今僕に愛され、そしてまた世界中の多くのリスナーに愛されている。

一方でこの馬鹿で甘ったれた僕は何者にもなれず、なにもできない。

情けなくてまたたばこを吸う。

ものさしが欲しい。僕は今ものさしを必要としている。人との距離を計るのだ。

けれどそれを胸に当てて、それでも僕は僕を愛せるだろうか。何かを率直に示し、誰かを素直に見つめ、適度な距離を保つ。そんなことがこの僕にできるだろうか。そんな頭が僕にはあるだろうか。ものさしの使い方がわからずにみんなから嫌われたことがあるこの僕が。みんなのものさしの真似をして得たお利口な人間関係に辟易して、ものさしをぶん投げたこの僕が。それなのに僕はまた同じように人に嫌われ、捨てられることを恐れている。その怖さゆえにぶん投げたものさしをもう一度探したいとさえ思っている。けれどそれももう手遅れだ。僕はこの現状の僕が得てきた何かを大事にしている。そしてそんな僕を僕は好きにさえなっている。うまく立ち振る舞う頭なんてハナから持ち合わせてなく、自分を強く持つ心さえない人間がやることじゃなかったのに。もう僕は僕にさえ笑顔を向けている。そしてこの僕はその僕にうんざりした顔をしている。

すぐ何かを諦められる優しい心が欲しい。僕の優しさは優しさなんかじゃない。僕は他人を許容できない。僕には僕の自由があるように、他人には他人の自由がある。僕に言わなくていいことだってあるし、僕を嫌うことだって、僕を突き放すことだって、それは彼らの自由だ。他人についていって、他人に恋い焦がれて、それで何かを僕が彼らに要求することは大きな間違いだ。そしてそれは大きなおごりだ。僕が彼らに与えたものはただの僕の好意によるもので、彼らは何一つ要求などしていない。気持ちの悪い人間だよお前は。つくづく気持ち悪い。

それでも彼らが去っていくのはとてもつらく、とても悲しい。それはこの世界のパズルのピース、どこか一つが抜け落ちてしまったかのような気分になる。好きな小説のどこか大事な数ページが裂けてしまったような。行かないで欲しいと心から思う。ここにいてくれと強く思う。それでも僕にそんなことを抜かす権利はどこにもない。彼らは彼らの自由がある。けれど、それでも、そうだとしても、僕は彼らに強く訴えたい。行かないでくれ、と。でも彼らは当然、見向きもせず走り去っていく。楽しいことがたくさん待っている世界へと一目散に駆けて行く。それは当たり前の話だ。そこが彼らの楽園なのだから。だけど一方で僕は天才なのかもしれない。酔えば何もかもが揺れて、知らぬ間に朝になったり夜になったりする楽園を知っている。もし仮にその両者の違いを挙げるとしたら、そこが僕や彼らを待ち焦がれているかどうか、ただそれだけに尽きる。そしておそらく僕の楽園は、僕のことを待っても拒んでもいない。ただそこに存在しているだけの、無機質な入れ物容器の空間だ。

僕がすごくかっこいい俳優だったら、彼らは去っていかなかったかもしれない。僕といることに何かステータスがあったら、彼らはここにいてくれたかもしれない。そして面倒くさいなあと言って横で笑ってくれたかもしれない。ちょっと前まで横にいたはずなのに。おかしい。こんなにもみんなのことを大事に思っていたのに。

幼稚園、小、中、高と、その頃に言われた酷くつらい言葉を思い出すときがある。でもきっとそれはあながち間違いじゃなかったんだろうとも思う。もしかしたら僕の未来に警鐘を鳴らしていたのかもしれない。しかしその記憶はつらく、そして悲しい。ひどく落ち込んでしまう。でも僕は確かに普通ではない。そこに対するカウンターも、もう今はいい。何をするにも僕は無力だ。そして頭も悪い。

それでも生きていけなんて、くだらないと思う。諦めて生きていくなんて、そんなの死んでいるのと同じじゃないか。僕は生きている以上、抗いたい。自分を肯定し続けたい。それができないのなら死んだほうがいい。

帰り道、むせながらウイスキーを飲むこと。震える手でたばこを吸うこと。一人で自室が奪われてしまった実家に帰ること。下宿先の玄関でくつひもをほどきながら床に涙を落とすこと。変わっていく何かを受け入れようと努力すること。本当のことを話せないこと。烏丸通りを眺めること。

明日はいつも通り嘘をつく。人が大嫌いで、興味もなく、何も思うことなんてない。忘れた。全て忘れた。あいつらのなにがいいんだ? くだらない。本当にくだらない。本当のことを言うなんて本当にくだらない。人が怖くなった。悲しくなった。ただそれだけ。それだけです。

「俺は変なやつだ。本当はこんなところに来ちゃいけないヤツだ。なにしろ周囲から浮きまくっている。そいつは天使みたいに輝いていて、あまりに綺麗で泣けるくらいだった。そんなものを目の前にしても俺には何もない。何か誇れるものが欲しいよ。ケガをするなんて大したことじゃない。ただ自分の気持ちをコントロールしたいだけ。少々のことじゃへこたれない強い人間になりたいよ。特別な人間に釣り合うような、そんな人間に。」

トムヨークでさえこんなことを言う。そんなのあんまりだ。

せめて忘れんなよ。俺は楽しかったんだから。もう忘れたからなにがなんだか分からないけど。悪気はないのに嘘つきと呼ばれ、さよならも言えずに車窓から投げ出される俺からの最後の嘘。俺はこうやってしか生きていけない。これから先は知らない。興味もない。

読まなくていいです。これを文末に書いてしまうこと。それもまったくもってくだらない。

 

 

夜が明ける前に 2

 

僕はジョシュ・スコットの小説がなにより好きだ。

その理由は至って単純で、彼が書く小説の主人公が毎回突然人を失うからだ。

それは昨日までいつも横で寝ていた女の子が、あくる日目を覚ますとその場からいなくなっていて、いくら連絡をつけようにも電話が繋がらなくなっている類のものだったりする。

もしくは、ある日突然いつも一緒に遊んでいたグループの仲間全員から無視され、なにをしようにも全員が話に取り合ってくれなくなっていることかもしれない。

そこには見事なまでに理由がない。そして彼らもまた誰一人としてその理由を語ろうとしない。

ただ無言で目の前から去って行く。

そこに僕は彼の小説の本質を感じる。

 

昔ジョシュは何かのインタビューで、「物事は大体において判然としておらず、人はそれ自身になんの意味があるのかを理解できない。」と言った。

ジョシュ・スコットという小説家は、意味のない比喩を延々と書き続け、わけのわからない象徴を大量に描き続けた無意味な作家だった。

おそらく彼自身、自分が何が言いたいのかを把握できていなかったと思う。

しかし物事の本質なんていうものは混沌のなかに埋もれたゴミくずのようなもので、もともとそれ自身が無意味なものだ。

そんなものばかり追っていたものだから、彼は無意味な象徴の代表としてビルの53階から飛び降りた。

「去っていくばかりでは悲しいではないか。」

もう彼のもとから去っていく本質はどこにもない。

 

 

「純粋であることはいいことだ。」

時計の針は既に夜の3時を回っている。夜中の沈黙には張り詰めた鋭利な目が無数に張り巡らされている。

「俺はそうやって今まで教わってきた。」

「しかしそのままでは生きていけない。いつかそれを壊さなければならない日が来る。」

「それがどうしてだか、お前にわかるか。」

「そうであるべきものが、そうではないと否定された時の苦痛が。」

「その理由さえ納得して教えてもらえないことが。」

「それでも生きていかなければならないことが。」

昼の3時と夜の3時は、時計の指版上では同じ位置を示している。

「昼の光に、夜の闇の深さなど分かるものか。」

 

 

僕は何もかもを失ったあの暑い夏の日差しの中を歩いている。

そこでは大量の嘘と、ささやかな虚栄心が舞っている。

あと少しで、僕はこの眼下に広がる少し湿ったアスファルトの一部になるだろう。

もう僕はここから動くつもりはない。だって、去っていくばかりでは悲しいじゃないか。

だけど、動くこともない汚れた心は、僕はやはり少し悲しい。

ビルから飛び降りることになったって、どこかへ向かおうとする心はやはり美しい。

僕は、僕が思うよりずっと僕が好きだ。

そしてきっと、それだけでいいのだ。

 

 

 


downy - 安心 anshin

 

夜が明ける前に

 

たとえば53階のビルは程遠い。

ヒトラー肖像画を抱えるにはあまりに脆い。

誰も知らないどこかへ行くには遅すぎたし、悲しみに暮れて泣くにはまだ早い。

 

秋に中間点は存在しない。

そこにはただ夏の終わりと冬の始まりだけがある。

冬は何事もなかったかのようにやってきて、何事もなかったように街を照らす。

それにとぼけた人々はジャケットを脱ぎ、口をあけたまま顔にコートを着せる。

そしてそこで彼らはやっと一年分のサンタを抱くことになる。

メリークリスマス。

 

何かのはじめてを想像するとき、彼ははちきれんばかりのウイスキーに溺れる。

そこで彼女は浮遊している。

彼が溺れるウイスキーの悲しみは、世界のどんな海溝よりも深く、あらゆる山道より険しい。

そしてそれはまた、そこで浮遊する溺死体の彼女の喜びの深さをも意味する。

それがどんなに悲しいことか。どれほどの意味合いのものか。それは彼にしかわからない。

 

遠くに見える無愛想な山あいの色が紅く染まるとき、世界は一時の平和を取り戻す。

教師は列を為し、そこに向かって深く礼をする。

やさしさとはなんと不明瞭なものか。

 

やがて来る夜の曖昧さに、そこへ飛び込む前の彼の声音に、彼女は涙する。

それは彼がそうさせたのではない。世界が彼女に仕向けた嘘だ。

それがやさしさだ。そしてそれは限りなく切ない。

 

君が持つミニカーはどこかへ行こうとする。

遠くでそれを待っている人がいる。

やがて時は経ち、花が揺れ、風が吹く。あらゆる物事の順番がおかしくなっていく。

それでも世界中の農夫たちは、そのミニカーがはるか遠くへ行くことを願うだろう。

その意味が誰一人わからずとも、彼らはきっとそう願うはずだ。

そして僕もそれを強く願う。

 

言葉に強力な意味を持たせたい君はいずれ強力な言葉を使うことになる。

君にはそれが十分にできるだろう。少なくとも僕はそう考える。

夏草は燃えたし、もみじは紅葉した。

彼は彼女と死体になって一緒に海へと流され、ミニカーはここには存在しない世界の果てまで無事飛んで行った。

大体においてすべての願望は母なる大地へと流れつき、あらゆる希望は羽をつけて飛んでいく。

それが言葉だ。

 

でも、愛しているだけでは強くなれない。

文学を愛だとあの人は言ったけれど、時代は誰も彼に同調しなかった。

そして重心のない愛と巨大な嘘は人の身を滅ぼす。

しばらくして彼は自殺した。

人を魅了する言葉が絶対的破滅を断定する過激なものであるのと同じように、彼もまたヒトラー肖像画と母親が映った写真の額縁を抱えて53階のビルから飛び降り、身を滅することでその愛と嘘を肯定した。

でももしその愛を謳うことが彼に飛び降り自殺を促したと言うならば、そんな愛なんてはじめからいらなかったのだ。

そしてそのときはじめて時代は彼の文学を認めた。

 

 

彼は暑いあの日差しの中を歩いている。

言葉じゃない何かを探し、理屈じゃない道筋をたどっている。

街では彼女の影が多く歩き、ときおり彼女の匂いがした。

遠くで花火の音が聞こえて、桜が舞う。

きっとわけがわからないと言うだろう。夏に桜は舞わないのだ。

でも僕にはわかる。何を言われようとあの夏の暑い日差しの中を桜は舞ったのだ。ささやかな嘘と柔らかな虚栄心の中で。

僕はその先を思う。

そしてまたその先を考え、さらにそのずっと先を考える。

彼は彼がいた時間を思うだろう。

それでいいのだと僕は思う。

世界はすべて象徴だ。

夜になってから花は咲き、アスファルトは何事もなかったかのような顔をして昨日の雨に濡れている。

そして僕は彼が歩くそのアスファルトのはるか先を、嘘みたいな口笛を吹きながら願っている。

 

 

 


Galileo Galilei - Blues

 

 

俺は流れゆく車窓を見ている。

何かいいアイデアが浮かんだら、それはきちんとメモしておかなければならない。

水に浮かぶ泡のように、それは恐ろしい速さで水の集合に溶けていく。

俺だけじゃない。きっとエジソンだってそうだったはずだ。

いや、そうであれ。

俺には願うことしかできない。

でもそれはバカだからじゃない。

理由?

くだらない。

やつはもう死んだんだ。

 

 

知らなかった。

街の街路樹は無意味だ。街の街灯も等しく無意味だ。

街の建物も無意味だったから、街を行きかう人もまた平等に無意味だ。

幸せなもんさ。みんな等しく無意味なんだから。

おかげさまで特段何も気に留めずに済むよ。

この世のすべては、俺が見ているこの車窓をただ流れていくだけのものだ。

たとえ窓際に差し込むまぶしすぎる太陽に目を瞑ることはあっても。

 

.............太陽。

逃げ惑う俺にまとわりつく光。

そのために俺は電車に乗ったはずなのに。

憧れ。

そんなもんさっさと捨てて楽になれよ。

死にてえのか?

その先で俺は夜になる。

たとえその夜が同じ無意味だとしても。俺は夜になる。

 

「陽はまた昇る。」

まるで慰めになんかなりはしないよ。

 

 

捨てられるだけの人生なんて勘弁さ。

諦めるだけが人生じゃないはずだ。

もっと違う人生を。もっと違う心を。

楽になる方法がきっとあるはずさ。

真夜中に道を歩けば彼が教えてくれる。

ただそこで呼吸しているだけで世界は素晴らしい。

誰もいない街。安楽はそこにある。

人に認められ、受け入れられていくことだけがすべてじゃないはずさ。

生きていくこと。それはもっと自由なはずだ。

流れていく景色は自由だ。

汚れた目も自由だ。

愛することは自由だ。

だから。嫌われることもまた等しく自由だ。

抗うことは自由だ。

だからこそ投げ出すことも同じ自由だ。

無意味であることさえも、全く同じ自由なはずだ。

 

人に認可なんてされてたまるか。俺だけの今日だ。

走り続けるのさ。

死んでみたらわかるぜ。

それは無意味なんかじゃない。

価値がなくなるのさ。

 

勝手に白旗をあげるのだ。

1人電車に乗るのだ。

叫べなくたっていいのだ。

窓際の少年。

イヤフォンの音量を全開にして音漏れしているその声もまた同じことさ。

まったくもって無意味だ。

悲しいくらいに無意味だ。

無意味すぎる。

誰も聞いちゃいない。

だけど俺はそれを知っている。

俺だけがそれを知っている。

ロックンロールを愛している。

 

 


 


エレファントカシマシ - ガストロンジャー

 

 

 

ロックンロールが好きだ

 

僕は19の時に、簡潔に言えば事実上実家を追い出された。

それは僕のせいでもあったし家庭のせいでもあったけれど、僕の理解では間違いなく僕のせいだ。

 

それでも母は僕のことを愛しているという。そして僕も母のことが好きだという。

僕は家庭から追われるような大馬鹿野郎だから、母の事なんてもはや好きかどうかよく分からないくせに平気な面をしてそういうことを言う。

今ではもう慣れたものだ。ロボットに感情をあてがう仕事ができるくらいに感情を生み出すことに慣れた。

ありとあらゆるものに対して、僕は求められれば全てを捨ててそこに行く。

だってもう僕は帰らなくていい人だ。

 

たまに母親は僕と会おうとする。私はあなたが心配なのだと言う。

僕は「僕が帰りたいと言うとあなたがそれを拒否して怒った日をいつまでも覚えている。」

今日は帰り際、母親が晩御飯にお寿司を買ってくれた。晩御飯を一緒に食べるのはしんどいらしい。

居場所がないことを再度自覚する。安定した場所。安定した人間関係。安定した愛情。

そうやって別れる。

 

家に帰って虚しくなってたばこを吸う。短くなったタバコの先を見て余計に虚しくなる。僕は一体いつまでこんなことを続けるのだ?

僕は不安だ。

僕に愛をくれるすべてが不安だ。

どれが本当なのか、僕にはわからない。

くれるのなら離れないで欲しい、おいていかないで。

ベッドに寝転がる。全て無駄だ。

僕はどこにいればいいのだろう?

 

さあお寿司を食べよう。

大きなラベルが貼ってある、お母さんが買ってくれたお寿司。魚屋さんの特上にぎり10貫。

僕にはそれがわからない。

 

太陽

 

僕はこれで6回死んだことになった。

それは昨日の晩、突如報告された。嫌に気怠い、暑い夏の夜だった。

それで何かが変わればと僕は思った。

それでも僕は僕のままだった。死んだ後も死ぬ前と何一つ変わらない僕のまま。

少し変わったとすれば、それは夜の時間が幾分長くなって、好きだったものがいくつか嫌いになった。ただそれだけのことだ。

諦めることにも、生き続ける苦痛に対しても、そしてそのような場所に佇む自分にも慣れてしまった。

その時点で僕が僕自身を手放すことができたなら.....と思うのだが、いくら地球がスピードをあげて回転しようとも、不恰好な僕は不恰好な僕のままだったし、依然として僕は自分のことが嫌いだった。

「何も思わないというのが一番いけないね。嫌いという感情も、その人に関心があるからこそ生まれるものなのだから。」

つまるところ、こんなモノでも僕は僕のことが可愛くて可愛くて仕方がなかった。

 

自分がこれまで5回死んでいた記憶を僕はあまり思い出せない。それにまつわる全ての事象は地球の素早い回転により盛大に振り落とされたし、僕とNASAの絶え間ない努力により世界の果てに打ち上げられた。

とりあえず今の僕には、6回目の死こそが愛おしかった。

 

6回目は常に優しく何かを僕に語りかけた。

この地球上稀に見る、僕を求めた光だった。

6回目はよく僕に「優しいまま居続けるということは...」といったような趣旨のことを話した。

6回目にとって、優しさというのは痛みそのものだったようだ。

あるものは空回りするし、誰もそれを発見してはくれない。いくら言葉を尽くしても、必ずしもそこにはたどり着けない

人間という存在が冥王星よりも遠かったという事実には僕もNASAもびっくりしたし、そしてなんだか笑えた。

痛みからしか生産できないロクでもない生き物にも。

 

寝れない日が続いた。家に帰りたくない日も続いた。

そういう日はあてもなく京都の街を歩き回り、よくバスの停留所で寝た。

公園に行けば酒を飲み、都会に出てはロクでもない連中が集まるロクでもない喫煙所でタバコを吹かした。

親に辛いと電話すれば怒られて、仕事をすればこんなクソみたいな世界に奉仕する意味を考えた。

そしてこの夜中の3時半に文字を書く意味も。

 

 

それは大きくて丸い密な心の中にすっぽり巨大な空洞ができたような、そんな気持ちだった。明らかに何かが足りないのだが、それが何であるかが全く分からない。その心のピースは一体何でできていて、そいつはどこへ行ってしまったのか。いつかは僕の元に帰ってくるモノなのか。

実際僕はその気持ちをどう扱えばいいのか分からなかったし、そこに佇み続けることがだんだん不可能になってくるくらい落ち着かなかった。

諦観に似た虚無と生への僅かな希望が複雑に絡み合うことで僕は辛うじて生きてはいたが、明らかにその現状は不快で、今の僕にはすぐにでもそれを打ち破るための自死が必要だった。宇宙が好きでたまらなかった幼少期の自分に対する、今までの人生のせめてもの贈り物。

こんな惨めな僕も、こんな有様でも、それでもまだ生きていたいと願うのか。

どうにかしなければと思ったが、それについては誰も教えてくれなかった。

無理をして大学に行っても、そこにあったのは幸せそうな爺さんが嬉しそうに無意味な数式を並べあげるだけの徒労な教育と、表現過多な生徒たちだけだった。

そんなことなら、と僕は家に帰って無意味な数式を何度も見返すのだが、結局のところ烏丸通りを縦走するはめになった。

一つではない全てが僕にとって、というよりも世界にとって、無意味だった。そして無力だった。

 

 

ある死にそうな夜に、僕は大事な僕を抱えて布団にくるまっていた。午前三時。いつもの時間だ。脇にロープを抱えていた。

誰かに頼りたかった。こんな気持ちになったのは初めてだった。

人の温もりだけを求めていた。そうすれば何かが変わると信じていた。

関係性というしがらみも、今の僕にはもう必要なかった。ただそこに僕がいることを許してくれる温かさだけを求めていた。

 

「やあ。」

タツムリは開口一番、僕にそう言った。

そして僕もいつも通りカタツムリに一粒のチョコレートを与えて

「やあ。」

と言った。

「何をそんなに悲しんでいるんだい?前にも言ったはずだよ。君は捨てられたんだ。君を作り出した家族という概念からも、そしてあらゆる気持ちとあらゆる言葉を尽くしても到達できなかった全ての物事に。

どこへ行っても同じさ。それはどこまで行っても追いかけてくる。幼い君が嫌々やらされたあの影踏みのようにね。君がどこまで行こうと、たとえ影が一瞬の間何かの物陰に同化して消えようと、そこを離れた途端にまた影は君を追いかけてくる。

もし君がそいつと離れたいのなら。それはもう君自身が消えるしかない。君という存在が、すでに影を生み出しているんだよ。

しかし、だ。それはあまりにも不健全すぎる。

だから。ここに一ついい方法がある。」

タツムリはチョコの包み紙を窓際のベッドの横にあるゴミ箱に放り投げ、ゴミ箱に弾かれたそれを睨みながら話を続けた。

「それは太陽自身を消すことだ。光がなければ、君の存在は影を作り出しはしない。光があることを知らなければいい。光など、元からここにはなかったのさ。」

僕はその鳴き声から、家の外に鈴虫がいることを確信した。

「それではあまりにも悲しすぎるだって?それにしたってわたしには今の君も充分に悲しそうに見える。そのロープはなんだ?その膨大な酒の空き瓶は?たまった灰皿のタバコは?

いいかい?もう一度言う。悲しい話だが、これは事実だ。君は全てに捨てられたんだ。」

 

 

タツムリは僕が目にするたびにきまっていつも殻を背負っていなかった。その姿はただ地面を這いずり回ることで気味悪がられるだけの何かの見世物のようだった。

僕はよくカタツムリになぜ殻を背負わないのか尋ねた。

「そんなの簡単さ。ただそれが重いからだよ。」

たしかに僕にとっても殻を背負って生きていくことは重すぎた。

そのようにして僕とカタツムリは仲良くなった。

 

来る日も来る日も、僕とカタツムリは様々な話をした。

「わたしのことはハルキと呼んでくれ。ああ、理由なんていうくだらないことは聞かないでくれよ。システムに理由なんて要らないんだ。機能しさえすればいいものに理屈をつけるだなんて馬鹿げていると思わないかい?

君がわたしのことをハルキと呼ぶ。そうすればわたしは振り向く。それだけの話さ。

作業内容さえ知っていれば、その内容の理屈を考えなくてもスムーズに事は運ぶ。いや、むしろ理屈を考えないほうがスムーズにいくかもしれない。」

「僕がNASAの手で宇宙に打ち上げられた意味も?」

「当たり前だろ?そこに意味なんてない。ただ君は打ち上げられ、世界からつまはじきにされ、そこにただ存在している。全てを分かろうとするには重力が重すぎたんだ、ここは。」

6回目は今日も元気にしているのだろうか。意味なんてないのだが、僕は僕のシステムの都合上、ふとそれが気がかりになった。

また乱暴に酒を空けた。

 

タツムリと過ごす日々に結論という概念は存在しなかった。というよりも所詮結論なんて結論以外のなにものでもなかった。

そして幸運にももし我々がその結論にたどり着いたとして、その頃にはもうとっくに夜は更けているし、もちろん僕は大いに酒を空けている。

結論を出すことになんら意味はなかった。もしあるとしたら。

それは産まれたことに対する無様な後悔を明らかにするだけだ。

つまりその行為は無駄であり、今さらの話であり、究極は何もそこから生み出せなかった。

僕らは会うたびにお互いがそこに存在していることと、そしてこの場の重力の確認をする。ただそれだけをした。

 

「機能しさえすればいい。」

僕はカタツムリが帰ったあとの重い沈黙が沈む遠い夜に、部屋に一人うずくまったままうなだれてしまった。行き場はもちろんない。捨てられたのだ。

僕の気持ちはどこへ行ったのだろうか。僕の言葉はどこに落ちているのだろうか。

「それはシステムに組み込まれたんだ。君という人生の巨大なシステムに。生きていくんだ。それこそがシステムなんだ。」

 

 

柔らかな8月の夜風が、6回目の匂いをそっと運ぶ。

間隣に僕は6回目の影を感じ、そして触れたその腕でこのまま僕を果てへと連れて行って欲しいと思った。生きていて、よかったのだ。

 

「優しいまま居続けるということは.......諦めないことよ。何も捨てないの。分かる?気持ちの問題よ。少なくとも私にとって、気持ちは命よりも尊いの。

信じるのよ。私は何一つ間違ってなんかいないって。染まっちゃダメなの。合理的だなんて嘘なんだから。嘘なのよ。それじゃあ私のこの気持ちは一体どこへ行くのよ。

優しさは、どれだけ体中から出血していても立ち続けていることなの。どんなにそれが無碍にされたって、どれだけその帰りを待っても帰ってこない日だって、私はずっとずっと待っているの。私は私が放った言葉を信じているから。

だからきっといつか。きっといつかはみんなみんな私の元に帰ってくるわ。何人もが大きく手を振って、笑顔でね。

そしたら私は頷きながら穏やかな顔でこう言うの。”おかえり。元気そうでなによりよ。”

強さなの、何ひとつ捨てないということは。だってそう思わない?

すべてを背負うには人はあまりに優しすぎたし、冷たすぎたわ。そんなものを全部背負えるのは太陽系くらいよ。だってあそこには重力がないの。おまけに真っ暗。きっと何も感じられないのよ。」

隣にいる6回目の肩が小刻みに揺れている。その揺れは僕の皮膚を通じ、そしてその中へと伝わってくる。

僕はいつまでも揺れる6回目の肩をずっと抱きしめていたかった。

 

季節は変わる。

夏が終わり、胸を焦がす秋がやって来る。

そして6回目は僕にとって忘れられない数字になる。

彼女は、この地球からは僕だけにしか見えない特別な太陽だった。

だから僕は僕を殺すことにした。 

優しさとは、あるいは気遣いとはまた別種の違ったものだからだ。

君を殺したくなかった。

しかしそれでも僕は僕の言葉を信じている。

「みんなみんな君のもとに帰ってくるよ。大丈夫。当たり前じゃないか。そんな世界は間違っているのだから。君はそのまま立ち続けるんだよ。なにがあっても立ち続けるんだ。それを支えにここで立っている人もまた、この世界には存在するのだから。」

 

 

 

 


Radiohead - Let Down

 

 

殺人

 

険しい顔の人が何名か、画面の向こう側で合図している。

それはあきらかに非日常であり、おそらく危険信号である。

そのとき僕は、この人たちの発信信号の意味を考える。その発信信号の行く先を睨んでいる。

僕が一番悲しく思うのは、遺体に囲まれたその情報を露骨に見せようとする「奴ら」そのものである。

僕はこんなにも巨大な世界が、深刻な顔をしながら「とある場所で殺人犯が大量に人を殺した。」と報道せねばならない義務について、今後何年間かかけて理解せねばならない。

そうでもしないと僕は変な人に思われてしまう。

 

僕には人々がそういった非日常的な、不快でドロドロとした報道をちょっとしたフィクションとして味わっているようにしか見えなかった。

それはついさっきこの現実世界で本当に起こった出来事なのだと僕が言うと、人々は「知っている。」と僕に説明しくれるのだろうか。そのままの、冷ややかな目つきで。

 

 

異常だよ。

世の中のほぼ全員が見も知らぬ人が、世の中のほぼ全員が見も知らぬ人を殺している。

そんなことを世間に伝えて何になり、そんなことを知ってどうなるのか。

なぜそれを見ようと思うのか。

果てはなぜその情報を見続け、何か言葉を発せられるのか。

「ご気楽なもんだ。いいよな、お前らは知らないんだから。」

 

 

現実世界では物足りなくなったインターネットも、今ではここでさえリアルに溢れてきてすっかり飽きちまったと言う。

「ディズニーランドには非日常が詰まっているだろう。健全なんて甘い言葉が嫌ならもう吐き出しちまえよ。立派な異常者だ。そんなにスリルが欲しいなら麻薬カルテルとでもつるめばいい。」

そう言って僕はパソコンをハンマーで叩き壊した。

「自分とは全く関係のない知らなくてもいい惨忍な出来事を知ろうとすることに関して、あんたらは何一つ疑問に思わないのか?」

 

僕が言いたいのは行為の善悪なんていうチャチなもんじゃない。

世界中に蔓延る悪意を伝えなければならない異常な世界と、自分たちのことを棚に上げてそれよりももっと巨大な絶対悪を伝えることが正義だと信じて疑わぬ人間の異常性。その取り巻きの顔。

考えろ。自分の手を見てみろ。

 

僕は、間違っているのか?

 

画面が何かを映し、何かを発し、そして僕は震える。

「奴ら」の発言すべてが「正常な私たち」という音だったから。

僕らは、おかしくなんかない。おかしくなんか全然ない。

だから今すぐにでも二面性や狂気だなんていう言葉を持ち出して容疑者を容疑者たらしめることをやめろ。

「そんなもの誰にだってあるだろう。すぐ側にあるんだ。よく見てみろ。あっちに行きゃすぐ獲れるんだぞ。」

行為をするかどうか、ただそれだけの違いだから。

それこそが、ただそれだけが大きな差異であって、気質としてそんなに変わらない。ただそれだけの。いや、ただそれだけだ。

 

強いフリをしている。

いつ堕ちていくかなんて誰にも分からない。

変わらない俺が、お前たちを見ているとたまにたまらなく怖くなる時があるんだよ。

 

脅えている。

自分ももしかしたらああなってしまう可能性があることに。

その可能性から、自分に疑いの目を向けざるを得ない悲しさに。

そして何一つ疑うこともなく、狂気を狂気だと言って非難できる人間の強さに。

僕は、言い切れない。

弱いんだよ。

 

 

しばらくすると玄関から音がして、笑顔のお前が帰ってきた。

「ごめん、今戻ってきたよ。ありがとう、用意してくれてたんだね。うれしいな。」

お前は鼻唄を歌いながらサラダを取り分ける。

俺はそれを黙って見ている。

「なぁ、俺ってやっぱり怖くないか? 」

 

世の中の知らないほうがいいこと。

多分それは知らなくてもいい。

だって知らないほうがいいんだから。

悲しい出来事。

それを知る意味が僕にはまったく理解できない。

 

だからお前だけには何も分かっていないような顔をして言って欲しい。

「こんなにも大勢の弱い者を殺すなんて人として最低だ。同じ人間とは思えない。」

と。

大きな声で。俺に憤って。

大いに俺は喜ぶよ。

僕はきっと、仕方がない。

だからずっと。

これからもずっとだ。

 

笑ってなんかないし何もおかしくなんかないよ。

流れているくだらない恋愛ドラマも、愛し合うことでしか曲を作れないバンドの歌も、今なら、心から、許せるよ。

「私は無縁よ。あなたは本当にどうかしている。」

 

俺は羨む。

何の疑いもなく自分が安全な人間だと言い切れること。

 

僕は銃口を向けた。

「なぁ、嘘だと言ってくれないか。」

通り過ぎていく風は冷たい。そこにある音はきっと何もない。

僕は残り香だけは離さないと、そう誓ったのだ。

 

 


Syrup16g - 明日を落としても