県道コバーン
まあ詰まる所僕は10年間ギターのネックを握り続けている。
それはそれは強い力で、僕はこの薄汚い世界を変えてやる勢いで、ギターのネックを10年間握り続けている。
僕のギターヒーロー達はどうやら友達がいなかったようで、それはそれは物凄いスピードでたくさんの音を積み上げて行った。
それに比べて僕はどうだ。物凄いスカスカの音を出して、次に一体何を弾いたらいいか分からずそこに立っている。
ああ...まだ僕はステージに照らされるのか...。
黙祷。
そうだ。やっぱり世界は僕にとても厳しい。
それでも僕はおいそれとギターを離しはしない。
僕は生活が辛い。僕は人生が嫌だ。死にたい。
そんなことを言ったら君は僕を咎めるかもしれない。
悲劇のヒロイン気取り。気味の悪いナルシスト。
そりゃ君には君の悲しみがあるだろうけど、僕にだって僕の悲しみがある。僕にだって死にたいと叫ぶ権利がある。勿論、君にだってある。
死にたいと叫べばいい。生活が嫌だと叫べばいい。僕はそれに何を言う権利もない。僕は君のことが好きだから、そんなことを叫ぶ君を見たくはないけれど、でもそれが今の君の気持ちなら僕はそれを尊重するよ。死にたいんだろう。分かるよ。
でも君の悲しみを僕は知らない。分からない。痛みが実感できない。
でも想像くらいはできる。
だって僕は生活が嫌いだから。僕は自分がとても嫌いだから。僕は君を大事に思うから。
『それでも世界は綺麗だよ、こっちにおいでよ』
笑いながら君はそう言うけれど、それなら僕だって言うよ。
こっちにだって世界はあるよ、こっちにおいでよ。
そこではギターが弾けないギターリストがみんなの憧れの的だったりする。ボーカリストはおならで歌を歌うし、ベーシストは立派な金棒をベースとしていじっている。
観客は色眼鏡をつけてトリップしている。
「我こそは世界の真理を突いている!」
バーのマスターはいつも謝っている。
「こんなお粗末なものを、こんな値段でごめんなさい!!ごめんなさい!!!!」
僕らは楽しむために放棄する。何もかもを平気で捨てる。嫌なことは聞きゃしないし、やれないことはやろうとしない。楽をする。利潤の対価で付与される責任なんて僕たちには必要ない。
僕たちは楽しく生きていくべきだ。楽しくしようとしないことは罪なことだ。
そこで僕はギターを弾いている。嬉しそうに音を外している。僕は楽しい。僕はみんなのヒーローだ。
お祈り。
就活の時に、”今までの人生で頑張ってきたことと、そこから得たもの”という題にこんな作文を書いたら、結果どこも受からなかった。
やっぱり世界は僕にとても厳しい。
ギターはどっかで死んできた木の遺産だし、僕が夢見るのはみんながとうの昔に諦めたものだし、お金は僕の苦痛の賜物だし、生まれてしまった人生もまた。
僕からすると世界は狂ってる。
可愛い女の子はみんな三途の川を笑顔で渡って行くんだから。あれこそが世界を変える、みんなが恐れる”可愛い”なんだから。
可愛いみんなは三途の川を笑顔で行進する。とっても可愛い。見た目の問題ではなく、より本質的に。可愛さの本質とは愚かさそのものであると勘違いしてしまうくらいの深度で。
恐らく世界の名だたる革命家も、彼女たちを見た途端にその革命の手を止めるだろう。”可愛い”は革命家の世界を変えるのだ。彼らは彼らの生きやすい世界を作るためだけに動くのであって、別に本質的に良い世界を作ることなんて考えちゃいない。
でも僕は違う。信じて欲しい。もし僕が革命家だったら、僕は”可愛い”の大量虐殺を行う。
つもりだ。
現に今、僕は可愛い彼女たちを笑顔で送り出している。偉いだろう? 革命家なんだ、僕は。可愛いみんなのために彼女たちの行進のすぐ横でシンバルを叩いている。彼女たちがあまりにも素晴らしいから。革命家の僕は”可愛い”の大量虐殺の一助を担っている。真の革命家と呼ばれることを目指しているのだ。なぜなら僕はその言葉をアテに毎晩最高な失禁をしたいから。
これは世界中誰もが平等になるよう、”可愛い”を平均化する為の合法的虐殺なのだ。
とハッタリをかましたいが、本当のところは”可愛い”はギターが弾けないと与えられない誇り高き勲章のようなものだからだ。僕は革命なんかよりも”可愛い”のほうがずっとずっと好きなエッチな男なのだ。
でもそんなことをしていたら言葉とは何かが疑わしくなってくる。
人生も、また。女の子も、また。
だってそうじゃないか。言葉なんて必要か?
正義はもうそこにある。身の丈にあった人生。身の丈にあった考え。生活するための思想。
理想とは程遠い、生活に真正直な、それなのに薄汚れている正義。現実に即した、本当の答え。
そう考えると我々が必要なのは沈黙だ。これまで何年もかかって築きあげてきたこの世界に新しい価値観などない。黙ることだ。受け入れることだ。現実を形あるまま受け入れ、頭がいい原爆おじさんたちの話を有り難く聞くことだ。
でもそれは本当か?苦しくても、間違いだと思っても、僕たちは黙るのか?
僕たちが今必要なのは、理想を持つこと。
だといいよな、とか思いながら今僕はアダルトビデオを見ている。
クソ野郎の僕はギターを握っている。
間違いは、まだ。これからの人生も、また。
諦めない。
僕はみんなのことなんて知らない。どうでもいい。
楽しく生きていくべきだ。楽しく生きていくべきなんじゃないか?
そんな考えは幼稚だと君は言うけれど、君は勿論”可愛い”が好きだし、その隣の”可愛い”は”前衛的スタイリッシュおちんぽ”が大好きだ。
何を言っても自由な世界だったじゃないか。そうじゃないなら言葉なんていらない。
でもその世界の実現方法を僕は知らない。本当は僕はこの世界の”可愛い”を独り占めしたいエセ革命家だから。
出身大学もロクなもんじゃない。授業中も可愛い女の子はすぐ笑って開いたその大きなお口の中に大きな笑い声で男を勧誘しようとするし、男は男で席を立っては繰り返しズボンの股のところにテントをこしらえている。
適応していくための薄汚れた正義。
でも仮に、仮に言葉にしていいなら、言葉にできるのなら、僕は理想だけを。
弾けないギターは弾くべきだ。立たない金棒こそ死ぬほど愛でるべきだ。嫌な世界はトリップしてぶっ飛んでしまうべきだ。
鳴らないなんて知らない。
許可なんていらない。
世界の常識なんて知らない。
そんなものに興味はない。
世界がどうであれ、僕たちは、生まれたからには全力で楽しく生きるよう努めるべきなんじゃないか。
むさ苦しい。
いつもの場所は居心地がいいか?その悲しみは気持ちがいいか?
誰に赦しを乞うつもりだ。
Tempalay 「革命前夜」 (Official Video)